top of page

​── 黒峰達哉の狼狽

 ◆ Scene4:公園 ──
 

 ――中央公園

 ――広いし誰もいない

 ――待ってる

 黒峰達哉は、毛布を握りしめて丸まった体で、液晶に照らされた顔を不思議そうに顰めた。

(……俺に、来いって言ってるのか)

 ……何故そこまで?

 黒峰達哉は不思議でしょうがなかった。

 携帯の表示を確認すれば、時刻は夜10時を回っている。

 UGNの達哉ならまだともかく、高校生の身分で出られるような時間ではないはずだ。

(……そこで、電話を掛けてこいって言ってるのか)

 いずれにしても億劫だった。なんといって断ろうか、液晶を眺めてぼんやりする。

 平時では考えられないほど鈍った頭に見切りをつけて、緩慢なしぐさで起き上がる。

 不思議なことで、水琴七瀬が待っていると思ったら、あれだけ重かった体も起こすことができた。

 つまり、どうせ、仮病だったと結論付けた。

 

 当然寝汗を掻いたままではよろしくないので、最低限のシャワーを浴び、着替えて出る準備をすると、入口で支部長にどこへ行くのかと声を掛けられた。当然だ。無断外出だ。

「……少し。散歩をしてこようかと。……すぐ戻りますよ」

 いい加減な言い訳をしたら、それ以上何を聞かれることもなくあっさりと一言で送り出された。

 ヘルメットを被って愛用のバイクに跨り、エンジンを掛ける。

 ……支部長は、自分に興味がなかったんじゃないだろうか。

 ……まるで、見捨てられたような気分だった。

 寝静まる深夜10時半。ただ一直線に、指定された中央公園へとバイクを走らせた。

​ ◆

 黒峰達哉が中央公園に辿りついたとき。

 その入り口には水琴七瀬が立っていて、彼はヘッドライトから目を守りつつ軽く手を挙げてイヤホンを外した。

 達哉がゆっくりとバイクを彼に寄せると、七瀬は指差して最近綺麗に新設された二輪置き場を示すので、それに従ってバイクを停めた。

「よっ。お疲れ」

「……もう良い子は寝る時間ですよ。門限はどうしたんですか」

 達哉がヘルメットを外して前髪を掻き揚げ、ミラーを見ながら髪形を直す。七瀬はポケットに手を突っ込んでただそれを眺めている。

「なに言ってんの。そーんな子供じゃあるまいし。もう高校生だよ? そんくらいワタクシの良い子ちゃんポイントがあれば、友達に会うって言ったらいってらっしゃいの一言ですて」

「……さようで」

 達哉はいい加減にメットをミラーに引っ掛け、鍵をポケットに入れてピアスを弄る。

 七瀬はポケットから出した手をぶらぶらと大きく前後に振り、自販機を指差す。

 各々適当な飲み物を手にしながら、目的地もなく七瀬が歩き始めるので、達哉もただそれについていく。

「いやー。最近さぁ。みんな『進路どうする?』ってメンドくさくなってきたよなぁ。俺たちまだ高二だぜ? 先輩なんか別によしゃあいいのに、わざわざ外部受験するんだーって部活辞める前提で話しだしてさぁ」

「……あぁ。逆にまだ考えてなかったんですか」

​「いやぁー考えてはいるよ? 別に勉強サボってるわけでもないし。でも俺は内部進学で良いと思ってるし、ウチはとりあえず大学出てくれればあとは好きにしなって言われちゃってるからさ。政界継げとか、周りは言うけど、親父はそれで苦労してっからねぇ」

 七瀬のいつも通りの身の上話から始まる調子に、達哉は拍子抜けして息をつく。なんだ、自分が将来に悩んでいただけか。いつもの七瀬君だな。と。

 ピアスを弄りながら、七瀬の話に乗ってやる。

「まぁ。部活が今も楽しければそれで良いんじゃないんですか。……楽しめるうちに楽しんだ方が、良いですよ」

 達哉のその口ぶりに、七瀬が、あ! と声を挙げてわざとらしく振り返る。

「なんだよその社会人っぽいご意見ー! 俺を子供だと思って馬鹿にしてるだろー!」

「……え」

 平時なら冗談で通すところだが、今の達哉には尚更深く刺さる台詞だった。明確に視線を落とす。

「……いや。そんなわけ。ないじゃないですか……」

「いやいや。冗談だって。まったく達哉君は素直なやつですねえー」

 しゅんとして黙り込んでしまった達哉を後ろ歩きで見つめ、七瀬は微笑む。

「……なぁーんかさ。達哉君のそれ。変わんないよなって」

「……どれ?」

「そういう、結構他の人の言うこと気にする繊細なとこ」

 達哉は気恥ずかしくなったのか、目を逸らして抗議する。

「別に! 俺は俺だし! 七瀬さんがどうしてようが俺の知ったことじゃないし。好きにすればいいだろ、自由なんだから」

「自由ねぇ。まぁ、それはそうかもねぇ」

 再び、達哉はしょんぼりと気にする。

「……違うんですか」

「いんや。違いませんよ。だって選択肢が無限にあるっていう悩みなわけですからね。贅沢すぎて誰にも言えやしませんよ」

 達哉は眉尻を落とす。……そうかもしれない。そう思ったからだ。

 自分は久遠緤よりも、思い浮かべられる選択肢が多かったのだ。でも、いざ自らに照らした時、その選択肢に気付けなかった。

「……家。出られたんでしょうか」

「誰が?」

「俺が……」

 夜の散歩道。月明りと街灯が足元を確かに照らす中、その道筋をあてもなく彷徨う夜。

「……出ようと思ったこと、あんの?」

「……寮制の。高校に行ってみたかったんです。……でも、そこ、進学実績が、悪くて……」

 ますます歯切れが悪くなっていく達哉の様子に、七瀬は大体察する。母親に止められたのだろう。

「それってやっぱり、選択肢なかったよね」

「でも」

 でも。達哉は、今まで思ってもみなかったようなことを口にする。

「意地でも、それこそ、家出をしたり、親を殴ったり、ストライキをしてでも、好きなところに行かせるように主張できる力があれば。そういう意志があれば、違ったんじゃないかって……」

 眉間にしわを寄せて、しおしおとした不安定な声色で、ピアスを弄って目を泳がせながらそう嘯く。

 考えるだけでも不道徳だと、口にするなど断固憚られると、そう全身が訴えるような雰囲気だった。

 ところでこいつのコードネーム、なんだったっけ。ああ、そうそう。アナーキスト。笑っちゃうよなぁ。

 七瀬でもそう思うくらい、目の前の彼はそういった暴力的な態度とは正反対な子供だった。

「……んで? そうしたかったの?」

「するべきだったのかもしれないって。本当に出たいのなら。本当に嫌だったのなら。……そうじゃないのなら、俺は、やっぱり実は居心地が良くて、甘えていただけだったのかもしれないって。そう……思い始めて」

 はぁー。と、七瀬は心の中で何度目か知れない溜め息を吐く。

「誰に言われたのか知らないけどさぁ。そーんな育ちの悪い真似ができない達哉君だから今の達哉君なんじゃないの? 犯罪者予備軍じゃないんだから、そんな親が悪かったからって自分まで悪くなる必要ないって」

「犯罪者予備軍ですよ」

 七瀬が数歩歩いた先で相手が立ち止まった気配を感じて振り返ると、達哉の眼は絶望に見開かれていた。

「俺は。……その通りだよ」

 立ち尽くしたまま、震えている様子を見て、七瀬は心の底から漏れ出した。

「はぁ……?」

 七瀬は弾かれるように達哉にタッタと駆け寄り、その胸倉を掴んだ。

「お前どうしちゃったの。何があったか話してくんない。お前今なんかおかしいよ」

 本当は知っている。大体察している。どんなことがあったのか。でも、きちんと達哉の口から聞かなければ分からない。

 達哉はそのまま口元を薄く笑わせ、泣き出しそうな顔で声を絞り出す。

「俺、母さんを撃ち殺しかけたんだよ。もう嫌だったんだ。殴られるのも、罵られるのも。交友関係、縛られるのも」

 ……七瀬は、致し方なさそうに息を漏らし、胸倉から手を放す。……知っていたことだ。察していた。本当だった。

 でも、ショックだった。……だって、あの達哉君だった。

 よく聞く話だ。たまにニュースとかになるやつ。怖いねって雑談で終わるやつ。一歩間違えば、それで人生が全部終わりになっていたのに。

「……でも、死んでないんでしょ」

 達哉はすぐに返事をしない。ゆっくり口を開いて、覚えてない。と言った。

「……生きてるよ。俺はそう聞いてる。そうだと思ってる。引き金引いたか、覚えてないんだ。UGNが来たの、その一瞬だったから」

 確か覚醒の時に涼宮有栖が仲介に入って、それからの付き合いだったと聞いていた。じゃあ、彼女の悪口を言われて怒ったんだろう。自分のことでもっと怒れよ、と言う気にもならなかった。

「……俺、引いたかもしれないんだ。有栖、自分が持ってるエフェクト全然教えてくれない。有栖のシンドローム知ってる。どうしよう。俺、仕事してる間気付かなかった。人を撃ち殺すのに抵抗が無い。全部他人事みたいだ。悪いことしたなら、その罪悪感に苦しまないうちに殺してあげないと」

「達哉君」

「人なんだ。ジャームだって人なんだ。だってあいつら、割と普通に喋るんだよ。まるで俺の父親みたいなこと言う奴、結構いる。俺の父親、ジャームなのかな。殺してやらないと。俺が人じゃなくなって人を苦しめたら苦しいから、だからいっそ殺すときは一瞬で」

「もういいよ!」

 七瀬は、達哉を衝動的に抱きしめた。ただただ、これ以上聞いていられるものではなかった。それだけだった。

「もういいって。やめろよ……」

 七瀬には彼を力強く抱きしめることしかできない。それしかできない。無力を痛感するしかなかった。

 達哉の荒い呼吸も、互いの胸板に圧し潰されて、ゆっくりと七瀬の呼吸のペースと中間を取るように揃っていく。

 ……達哉のだらりと垂れていた両腕が、縋るように七瀬の袖を掴む。

「……ごめん……」

「……いいんだって」

 七瀬は達哉の背中をさする。吐きそうに嗚咽を堪える声がして、大丈夫か聞いて、一泊置いて、大丈夫、と返ってきた。

「……なんで」

 仲良くしてくれるんですか。達哉はそう零した。七瀬は一言。ばっか。友達だろ。と。二言。

「……友達?」

 また泣きそうな声色だったので、背中を叩きながら、そう、友達。と返した。

 そうしたら、ゆっくりまたしがみついてきて、息を止め、吐きそう……と涙声で言い出したので、あーそれは困るからちょっと離して、と頼む。首を横に振られ、達哉がしばらく耐えたあとに互いに手を離した。

「……そこ河原だし。いいの?」

 七瀬が指差したのは吐き場所の話だったが、大丈夫……と完全に力の入っていない声で達哉がふらふらと向かう。

 やれやれとばかりに七瀬もそちらへ足を向け、座る。達哉もゆっくりと隣に座った。

 川の音と虫の声を聞きながら、さわさわと頬を撫でつける風が心地良いと、七瀬は思った。

 背中撫でてやろーか、と正面の川に視線を投げたまま呟くと、本当に吐きそうだからいい、と力なく返された。

​「……甘えなさすぎた、って、どういうことですか」

 まだ分からないのか、この馬鹿。そう思いながらも七瀬は答えてやる。

「っていうより、甘えられる環境じゃなかったってことだよね。多分だけど、児童相談所とかあの家には何もしてくれないし」

「え……。甘えてましたよ。だって美玲さん、彼女みたいにくっついてくるから」
「……えー。高校生になっても?」
「……私からは、そんなの。抱きついたりとか、そんな……」
「いやいいけどさ、してても。でもそういうことじゃなくね? 社長は将来的に美味しいとか思ってはいたの?」
「……就職先とか、考えなくて良いですしね。そりゃ、良いモノなんじゃないですか。はたからは。……でも、……父親のスケジュールとか、社内派閥とか、他社との関係とか。……外に絶対話せない黒い話、とか。……そういうの聞いてると、俺にできるとは到底思えなくて」
「うん……分かるよ。俺だってそうだもん。でも、そういうのじゃないよな。自由って、絶対に金とか地位じゃないよ」

 達哉は静かに頷く。
 むしろ、それは反比例だとさえ思っている。
 七瀬は少し違っていた。

「……やっぱさ、変わってくるじゃん。せめて、自分の悩みとか、そういう話ができるかどうかでもさ」
「して何になるんですか? ……悩んでないって、思い込むの得意ですよ」
「もういいって。話せよ人に。今相談する相手居ないの?」

 達哉君はひゅっと息を吸い込み、こちらを見つめた。七瀬がその顔を見るとそれはあの子犬の顔だった。

「……してるじゃないですか。今。他なんて。してますよ。有栖にも。支部の方にも」

 七瀬は眉間に皺を寄せる。

「……なら、いいけど。今ぐらいの感じでする相手いんのかなって」

 そう言うと達哉君は目を逸らし、どこともない草葉に視線を落とす。

「……しない」
「してみれば?」
「しません。嫌です。そんなことをしたら」

 達哉は、言いかけてはっとする。そのまま、ゆっくりと口に出す。

「……殺される」

 七瀬はじっとそれを見つめて、仕方なさそうに川に視線を投げやる。

「……もう、家出てるんじゃないの? お母さんいないし。お父さんもいないし。UGNってそんなおっかないところなの? 俺、支援とかもういいから抜けよっかな」
「そんなこと! ……ないですよ。みんな、良い人たちで。本当に」
「えーじゃあなんで相談できないの。それは誰の問題? UGNって隙を見せたら殺されるの?」
「……違い、ます。……俺の……問題です。……俺が、全部完璧にできていれば。心配なんてさせずに、済むのに」

 達哉のその優等生らしい落ち込みように、七瀬は適当な枝を引っ掴んで宙を掻き回す。
 ようは彼は、完璧な優等生という居場所以外に生存できる立ち位置がないと誤解しているのだ。
 それはまるで、トリックアートの奈落に騙されて爪先立ちをしているような、そんな滑稽さだ。七瀬は笑ったりなんかしない。
 七瀬が口を開こうとしたとき、達哉がぽつりと、重々しく呟いた。

「……人の心が、なければ。完璧でいられるのに」

 七瀬は即座に達哉の顔を見た。深い絶望の顔だ。
 七瀬の腹の底で、ひどい憤怒が込み上げる。

(……それって、さあ……!)

 いてもたってもいられず、七瀬は派手に腕を掛けて達哉と肩を組む。

「まぁーまぁー! そーんな“この世に自分一人しかいません”みたいな顔しちゃってぇ! 別に周りにもデキるやつが居るんだから頼ればいいじゃん!? 俺とか! さっ!」

 返事がない。構わず続ける。

「達哉君はもっと力抜いて周り見ないとダメだって! 第一、そんなに怖いって達哉君が感じるなら本当に抜けちゃえば!? 俺と一緒にまた遊ぼうよ、親父も達哉が元気してるって知ったら喜ぶよ!」
「……派遣でも、してみればいいんでしょうか」
「いけるいける! もう18で家借りられるんだぜ? 達哉君なら生活できるよ! 俺、何でも手伝うからさ! 引っ越し荷物でも書類周りの分かんないことでも気軽に呼んでよ! いいんだよ達哉君なら。好きに過ごしてみなよ!」

 虚ろな表情で、ふと達哉が瞼を上げる。

「……あ。でも。有栖との結婚資金……」

「……いや、そんなの有栖さんの方が年上なんだろ!? 達哉君がそんなに苦しんでる状況で結婚資金を達哉君に頼るような彼女なんだったら別れた方がいいくらいだよ! そんなことないだろ! あとで考えなよ!」

「でも……」

「あーっ!! お前、何がアナーキストだよ! 全然真面目過ぎ! お前はお前なんだろ!? 何でそんなコードネームつけたんだよ!」

 そう言われて、達哉の中で何かが起き上がる。静かに、声色が変わっていく。

「……そう。……そうですよ。私は私です。なのに、私をいいように使い続けていた。私は、あの母親や、父親、親族共のようなクズは許せない。そうだ。だから、私は、FHが許せません……。あんな連中が人の命を踏みにじるのを、見て見ぬふりなんてできない……」

「……は? FH? 今そんな話してないだろ」

「してますよ。私はUGNを抜けません。一番確実に情報が得られて手っ取り早いんですよ。あの手の連中を潰すのに」

 意図をはかりかねた七瀬が、焦って達哉の顔を見る。目を見開き、どこか宙に吸い込まれるような瞳で何かを見つめている。

 その目がきゅっと七瀬の目を真正面から捉える。

「FHの春日恭二を知っていますか? アイツ、俺の前でなんて言ったか知っていますか? 『家畜に同情するタイプの人間かね』って言ったんですよ。何人も殺すテロを起こしておいて。許せますか? まるで俺の父親みたいだ。今すぐ殺してやりたいくらいだよ」

 目を見開いたまま口角を上げ始めたのを見て、七瀬はぞっとする。犯罪者の顔。人間兵器。

 七瀬が唖然として眺める間にも、達哉は呪詛のように矢継ぎ早に罵り始める。何かを。あるいは自分を。

「気持ちが悪い。吐き気がする。うんざりだ。他人を家畜呼ばわりして。自我を否定して。自分がことごとく上等な気でいやがる。自分は自分。他者は他者。個人の所有権は、その該当個人にしかありはしないのに。何故他者の所有権が自分にあると考える? 何故人を奴隷のように使う? 何故人の命を奪う? 何様のつもりなんだ? 消費される人間も愚かだ。人は己の中に自らの法を常に立法してそれを遵守しなくてはならない。そうして自らの手で勝ち取り得たものしか、真の価値はない。なのに、それを放棄してただその場の惰性に従い、『仕方なかった』なんて言いやがる。そんな他律に支配された人間にどうして負けなくちゃいけないんだ? この俺が? 俺は俺なのに? ……どいつもこいつも。冗談じゃない」

「……いや、何言ってんのお前」

「はぁ? あははっ。七瀬君も勉強した方がいいんじゃないですか。創造的虚無ですよ」

 黒峰達哉は、喉元まで湧き上がってくる激しい嫌悪感に目を細めた。

 臓腑を腐らせるような、激しい嫌悪。泣き叫びたいほどの苦痛に、ひどく顔を歪ませる。

「……もう、全部うんざりなんだよ。どいつもこいつも。家も、会社も、恋人も、UGNも、自分も。どこもかしも下らない、あんな人間関係も、夜の光も、虫の音も、今肌を掠めるこの風だって。全部。もう。何の価値もない……!」

 水琴七瀬は“達哉君だったもの”を睨みながら、歯列を噛み合わせる。

(……達哉君。俺、あのあと調べたよ。だって言ってる意味全っ然分からなかったから。“ニヒル”って、虚無なんだよな。そうだよ。君がいつもしていたあの薄ら笑いの名前は、“虚無”だったよ。でもさあ。達哉君、賢いじゃん。なのにさあ)

 水琴七瀬は泣きそうになりながら、携帯を取り出して目当てのページを探し始める。

 再会したあの日に達哉が言った、戦場にいる理由。

『──私が、私だから。ここを基点に、解放の狼煙を挙げるから。私が、私のニヒルを殺せるから──』

 そうだ。

 彼は、UGNを出るなんてありえない。出ちゃいけないんだ。

 黒峰達哉は、絶望的なまでの虚無をその内に呑み下している。それを吐き出そうというとき、ぶつける先があるのは、戦場だけだ。

 そこから引きはがして、一人暮らしなんかしたらどうなる。UGNとも関わりを失ったら。七瀬だって毎日会えるわけじゃない。

 人との繋がりを失ったら。衝動に苦しむこいつは一体どうなる。

(なんで達哉君は、わざわざそんな意味わかんねー他所の学者の屁理屈引っ張ってこなきゃ、“自分は自分”なんてそんな当たり前なことぐらい、言えねーんだよ)

 携帯の画面を達哉に突きつけ、七瀬は説得する。

「……これ。イリーガル向けの病院。セラピーの方向性が多分イリーガルとチルドレンじゃ違う。……聞いた話じゃ、チルドレンはその衝動の発散をジャームに向けて、任務を達成させやすくするって話」

「……病気だって言いたいのか!?」

「レネゲイドは病気だろ。……イリーガルはもっと、日常生活に戻れるように衝動のケアがされる。……お前が気が合うかは分かんないけど、一回行ったら面白い良い先生だった。……お前、さっきから嫌とかうんざりとか、しかもこんな心地良い風すらそんな風に嫌がってるけどさぁ。……確か。嫌悪衝動だろ」

 黒峰達哉は呆然とする。そうして、突きつけられた携帯を手に取り、画面を眺める。七瀬が続ける。

「……達哉君、ちゃんと知ってるの。嫌悪衝動って、UGNじゃ一、二を争うくらいには手厚いケア推奨対象なんだぜ」

 達哉はその呆気に取られた調子のまま、呟く。

「……チルドレンの、施設で。カウンセリングは受けていました」

「うん。でも達哉君って遅い覚醒で中途採用でしょ。大体のチルドレンが衝動制御のカリキュラムをある程度履修した後なんだよ。俺、調べたんだ。UGNチルドレンがどんなとこか」

 不安げに顔を上げる。達哉君の顔だ。

「じゃあ、俺のこの感情は全部レネゲイドのせいだって言うんですか!? 俺が嫌だって思うこの気持ちは! 信念は!」

「んなことは言ってません。達哉君は今までいろんなものを我慢して生きてきたから、そこら辺がぐちゃぐちゃなところもレネゲイドに利用されている可能性はなきにしもあらず。その辺はもう、それこそ俺はプロにお任せ。いいかーちゃんと正直に話すんだぞー」

 “達哉君”は、しゅんと縮こまる。

「……七瀬君だから、話したんですよ」

「……お。おぉ。分かっておりますとも……。大丈夫だって。取って食われるわけじゃなし。俺の時もスゲーよく話聞いてくれる良い先生でしたよ。優しい良いおじいちゃんっぽい先生でしてね。んでもキュマイラだから、もし達哉君が暴れても安心ですね!」

「暴れないって……。俺をなんだと……」

 達哉の口角にほんのり笑みが生まれたので、七瀬は腕を回して肩を叩く。

「それに、当~然私もいつでも聞きますからね! ついでに私も聞いてほしいことは沢山ありますし!」

「ええ……まぁ、良いですけれども、仕事が多いので、手短にお願いします……」

「こいつぅ!」

 軽口を言い合って笑う余裕ができたことに、ほっとしたのは七瀬だけじゃなかった。達哉もまた、温かなぬくもりを感じていた。

 さわさわと、風が流れる。虫が鳴く。今度は達哉も、心地良いと思えた。

 七瀬は思う。達哉は、達哉だからこそ。どこまでも目の前の物事のために駆け出してしまう、彼だからこそ。

 彼にはこうやって、肩を組んで笑い合える友達というものが必要だ。

 そうやって、日常に繋ぎとめてやる存在が必要なんだ。それも一人じゃなく。一人でも多く。沢山の良い友達が。

​「……差別、したくないんです」

「……うん」

「FHも、イリーガルも。……ジャームだって。主張があると思います」

「……うん」

「……誰も、見下すようなことはしたくない」

「それは、俺に言われたから?」

「え?」

 覚えてないらしい。七瀬は恥ずかしくなる前に言い直す。

「誰かの主張かなと思って」

「……そう、かもしれません。……でも。俺はそれが正しいと思う。俺は正しいと思うことをしたい」

「……難しいですよ。正しいって、いろいろで」

「勿論。だからこそ……取り組む価値、あるじゃないですか」

 確かにな。そう言われてみれば。そういうもんかも。そんな風に七瀬は思った。

 達哉がカシュッと、缶を開けて飲む。七瀬もそれにつられてペットボトルの蓋を開けて飲み、一息つく。

 温かな、夜。

 月明りと街灯が足元を確かに照らす、道の途中。

 時には友達と行く散歩も良いものだ、と、二人は思った。

本作は、「矢野俊策」「F.E.A.R.」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『ダブルクロス The 3rd Edition』

「グループSNE」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『ソード・ワールド2.0/2.5』
「株式会社アークライト」及び「株式会社KADOKAWA」が権利を有する『クトゥルフ神話TRPG/新クトゥルフ神話TRPG』の二次創作物です。
© 2022 Table Talk Roll Playing Game ~ Akasa's character sheet & participation session history ~ - Wix.com で作成されたホームページです。

bottom of page