
── Crumble Days
◆ Scene5:転校生 ──
今日も大和は大人しく学校に行っていた。
進級を人質に取られてしまったのでは、流石の大和も出席日数を稼ぐくらいのことはせざるを得ない。
担任のセンコウが『面倒見られたら恩くらい返しとけ』などと言うものだから、たまには苦手な朝に起きてでもホームルームから出席してやるくらいは認めてやっても良いと思った。荒れた学校生活を送っている中、彼が代わりに頭を下げて揉み消してくれていたのは確かなのだ。それがなければ、一体何度退学していたことか分からない。
相変わらず幸の薄そうな猫背に隈の取れない目つきで、黒板に何かをカツカツと書いている音が響く。
なんたる日常。先日の事故も大してつつかれないし、そもそもクラスメイトが避けてくることも含めて、まったくいつも通りの退屈だ。真花も変わらず自分の席に着いているわけだし、やっぱり昨日のことは突飛な白昼夢かなんかだったんじゃなかろうかと思えてきた。大和がそうして大あくびをしながら頬杖をつき、窓の外に目をやっていたその時だった。担任の気怠げな声が変化を告げた。
──今日は転校生が入る。黒峰。入れー。
(……黒峰? 最近どっかで聞いたような……)
「失礼します」
カラリ。扉を開け、確かな足取りで涼やかに入ってくる音。
目を向けてみれば、黒髪と、──あの緑目の。
──はい。自己紹介よろしく。
(ああっ!?)
間違いない。
……間違いないと思った矢先、今度は耳を疑った。
「皆さんはじめまして。黒峰達哉と申します。前の学校では学年一位を取らせていただいておりました。ですが、そんなことは関係なく分け隔てなく接することが一番だと考えていますので、どうぞ平穏無事な学校生活を共に送らせてください。よろしくお願いいたします」
……極めて、極めて爽やかな笑顔と、声色だった。背筋もすっと伸びているし、クラスの人気を即日かっさらうくらいには、最高の第一印象を与えたことだろう。
……こんなふざけた台詞でさえなければ。
──おう。お前の席は……。あぁ。ここだここ。
水を打ったように静まり返るクラスメイトたちをまるで気にも留めず、担任は席を雑に出席簿で指差す。
モデルか人気俳優か何かが歩く学園ドラマのワンシーンのように真っ直ぐ向かうその席は、なんと、あろうことか、そう、大和の隣の席だった。
一拍置いて小声でクラスメイトが囁き始めたというのに、水を打ったどころではなくもはや岩石を投下して周囲に津波を起こしたんじゃないかというくらいの“かまし”を決めた当の本人はといえば、これ以上ないほどに涼しい顔をして、当たり前のつもりで着席して教科書ノートと筆記用具を取り出していた。
「──お、お。おい。お前ッ、マジで……ッ!?」
大和が突然の隣人に指を差し大声を挙げそうになった瞬間、担任が授業開始の号令を始めた。
何事もなかったかのように告げられるページ数と怒涛の歴史の年号に押し流されてそれ以上は何も言えなくなり、大和は気が気でない一コマを送ることになった。
◆
「──お前、マジで来んのかよッ!?」
休み時間に入り、大和は真っ先に達哉に向かって声を荒げる。
一瞬鋭い目つきで睨まれ、てっきりあの嫌味ったらしい冷めた態度で何か言われるのかと思いきや、一瞬で優等生の笑顔に変わり、爽やかに打ち返す。
「やだなぁ、そりゃあそうじゃないですか。変なこと言うんだなー! だって、昨日言ってたじゃないですか。あなたが僕のバイト先に面接に来て、聞いたら僕も明日同じ学校に転校するんですよって! 運命だなぁって一緒に話してたじゃあーないですか! 分かりますよ! 僕も信じられませんから! あははっ!」
絶句する。
──シンプルに、気持ち悪い。
「……え……これから……ずっと、一緒、ってことか? 高校生活」
そう聞くと、一瞬きょとんとして考えたようにしながら、再び微笑む。
「……。……ええ! 不満ですか?」
──チルドレンの潜入任務はよくあることだ。
覚醒したばかりの犬獅子大和の護衛と監視、そして矢神秀人の調査の続行が目的である。
よって、その任務が終わればまた転校という処理で離脱することは明白であったが──そのことは、今この場では達哉しか知らないことだ。
大和は間に受け、引きつったようにして息を吸い込む。
突然押しつけられた設定にも夢じゃない事実にも今後波乱の予感しかしない高校生活にも何もかもに混乱していると、真花が大和の肩を叩く。
「……ねぇ、大和! おはよう」
「お、おぉ」
「怪我、大丈夫だった?」
……その件では、真花も――軽傷とはいえ――同じく入院していた身のはずだ。
「……あぁ! 俺は全然問題ないぜ」
良かった、と呟く真花に安堵する。
いつも通りの、気遣いのできる、いつも通りの真花だ。
いつだって、自分よりも他者を真っ先に思い遣っている。
……真花だけは、何があっても変わらない。
そんな真花が、言いにくそうに続けて口を開く。
「──あの、……き、昨日の、事故のことなんだけどさ……」
ぞわりとする。
やっぱり、夢じゃないらしい。
達哉が学校に転入してきたこと。真花が事故の話をすること。
──俺の日常は、確かに変わってしまった。
突然だった。
今となれば、あの退屈な日常が懐かしく感じる、なんて。大和は固唾を飲んで真花の次の言葉を待った。……が。
真花は、目を逸らした。
「……ごめん。……やっぱ、今はいいや」
達哉がじっと見守り、大和が引き止めようと口を開く。
「なんだよ。歯切れ悪いじゃねーか」
続きを促そうとしたその矢先、教室の隅から――実にわざとらしい――派手な溜め息を口にしながら、誰かが現れた。
「──犬獅子大和君。綾瀬さんは事故に遭って怖がっているんだ。君が話しかけるべきじゃないと思うよ?」
──俺が話しかけたわけじゃない。……のだが、その前に。
「……あ。……お前。誰だよ」
指先でくるくると自分の髪をいじる、巻毛でパッとしないような奴。こんな陰気そうな目つきのへのへのもへじが居ただろうかと、そもそも大和の中では登録の少ない脳内クラス名簿を捲り出す。
「……お前、名前、なんってんだっけ」
「はぁーあ。失礼な話題を振って、失礼なことを言う奴だ。まったく、呆れたもんだよ」
「……あぁ……、……まぁ。正直っつーか……全っ然印象ねーからな……」
上から下までジロジロと見回すが、やはり大和には覚えにはない。学校にほとんど来ていないような不良が、こんな地味で目立たないクラスメイトを覚えているはずもなかった。……ましてや真花に、こんな気持ち悪い友達がいただろうか。
「はぁーっ。どこまでも失礼なやつだ。行こう綾瀬さん、こんな奴に関わらない方がいい」
「えっ……」
そいつが真花の手を掴み、強引にどこかへ引っ張っていこうとする。真花は理解が追いつかないようで明らかに戸惑っていた。達哉が立ち上がる。
「……やぁ! こんにちは! 何を話してるんですかー? 僕も混ぜてくださいよ!」
皆さんの名前も教えてください! ……そう転校生が笑顔で割って入ると、陰気な男は綾瀬から手を離す。
「……あ、はじめまして! 綾瀬真花です。黒峰、さんでしたっけ。よろしくお願いしますね!」
この動乱の中でも、綾瀬は綾瀬の日常を崩さない。とても明るく、可憐な花を咲かせたように──にっこりと笑う。
こんなクソみたいな自己紹介かますようなクソ野郎にそんなことしなくても、と大和はつい思いかけるが、こういう綾瀬の分け隔てない愛想の良さがクラスでも人気の理由であるし、大和が心から信頼する理由でもある。
にっこりと笑い返す達哉とのやり取りを見て、内心で妙なイラつきを覚えるのだが、ここは抑えておくことにする。
「綾瀬真花さん。ありがとうございますよろしくお願いします。……それと……。そちらの、あなたは?」
そう言って達哉が矢神の方を向く。
矢神は黒峰と目が合うと、しばし不思議そうに見る。
「……。あぁ……。君……前にも会っているはずなんだよね」
達哉の表情が止まり、薄ら笑いをそのままに聞き返す。
「……前?」
達哉が意図を探らんと矢神の目を見つめ続け、続きを待つ。
「僕と誰かが話しているのがそんなに気になるのかな。……学校ではあまり、詮索しないでほしいな。“平穏無事な”学校生活のためにさ」
ふふっ。……と薄ら笑いを漏らしながら、矢神秀人はその場から立ち去っていく。
「……ッ気持っち悪いな。アイツ」
吐き捨てるようにごちる大和。
達哉は懐疑的な鋭い目つきで矢神の後ろ姿を見送りながら、ピアスを触る。
「……あ、あのー。大和と知り合いなんですか? さっき仲良さそうに話してたので」
この空気を切ったのは意外にも綾瀬で、ぱっと二人とも綾瀬に意識が向き直り、それぞれ表情を変える。
「……仲、良さ、そう……?」
「……あぁ! やぁ、その、彼ね! バイトすることになったんですよ。僕が働いてるところで。ねぇ!」
黒峰の付けた雑な設定に乗らざるを得ないらしいことに、大和は口籠る。実際はもっと非現実的な関係性なわけだが、N市支部でもあるらしい大衆食堂で働くことになっているのは事実なので、あながち嘘でもない。
「……う、うーん……。まっ、まぁまぁ。そ、そう……だな……」
極めて不服そうではあるが肯定の言葉が大和からも発せられたことから、真花は素直に納得する。
「あー。そうなんですね! 大和も頑張ってね!」
喉を詰まらせながらもひとまず横柄ながらも返事を返す大和と機嫌の良い綾瀬のやり取りを見て、折り紙つきの不良と共にいる理由をひとまず無難に付けたことに安堵する黒峰。綾瀬にとんとん、空中で黒峰の肩を叩くように「……黒峰さん黒峰さん!」と右手を添えて内緒話に誘われたので顔を寄せる。
「……一応ここ、バイト禁止なので! あんまり大きな声では……!」
「……あぁ!」
黒峰の誤算に……。いや、本当に誤算か、だとすればさっきの自己紹介といい誤算しかないように見えるが、本当にコイツ頭良いのか? と、大和が懐疑的な視線を送る。真花は転校生と幼馴染に注意喚起ができて満足げだ。達哉はというと相変わらず涼しく礼を言う。
「……そうか。確かに。失礼しました。これから気を付けますね!」
達哉が「……そういえば、そういうものでしたね」と意味の分からない小さな呟きをして目を逸らしたことには、大和だけが気付く。
高校なんて普通、バイト禁止じゃないか。何を言っているのか本当に分からない奴だ。
そうしてまた授業開始の鐘がなり、またね、と真花は自分の席に戻っていき、大和も達哉も静かに座った。