
── Crumble Days
◆ Scene5.5:情報収集 ──
──授業終わりの鐘が鳴り、昼食の時間に差し掛かる。
クラスメイトの言うことと言えば、購買に人気のパンが来ていて早く行かないと売り切れてしまうだとか、平凡極まりない退屈な戯言ばかり。待ち望んだ昼食にどよめく流れを尻目に、大和はといえばぼーっと頬杖をついたまま午前の授業を乗り切っていた。
──もはやこんな事態になってしまっては、この日常が単なる“茶番”のような気がしてくる。
(真花の様子、なんか変だったな)
大和はのっそりと立ち上がり、椅子の足音を響かせる。
真花に直接聞くのが早いと思ったが、あの妙な友人ヅラした唐変木も気に掛かる。彼女が珍しくクラスメイトの誘いも断ってさっさとどこかへ出てしまったのを良いことに、大和は廊下で駄弁っている適当な女子に声を掛け問い詰める。
「おい。お前ら真花知らねぇか」
女子たちは突然札付きの不良に声を掛けられ、当然怯える。彼女たちが真花とは普通に話す仲であったとしても、まずそもそも犬獅子があの優しい真花の行方を聞くのがおっかない。
「最近の様子だよ。知ってんだろ」
女子たちは、えっなになにこわい、などと怯えて会話にならず、大和は舌打ちする。それを聞いて女子たちは、ちょっとしたか細い悲鳴を上げながら逃げていってしまった。
ますます大和の機嫌が悪くなったところに、京都訛りの声が掛かる。
「何しとるんですかぁ?」
「……おぉ。狐月」
大和が振り返ると、スマホでメモを取る体制万全のベージュカーディガンの男が、ニヤニヤと薄気味悪く笑って近付いてきていた。
狐月美聡。部活は新聞部。ゴシップ大好きの雑誌記者志望。学校中のみならず世界中の噂話をかき集め、尾鰭をつけて流す厄介児。そんな胡散臭い奴が、まさに胡散臭い笑みを浮かべて絡みに来た。
大和は狐月の首根っこを掴み上げる。
「綾瀬真花だよ。最近の様子で知ってることあんなら吐きな」
「ちょっ!! いきなり暴力に訴えることあります!? センセーこれ校内暴力や! タスケテー!」
仕方なく大和は手を離す。だが睨みっぱなしだ。
狐月は大袈裟に襟元を正しながら嘆く。
「……ったくぅ! 情報は時にダイヤ以上の価値あんねんで! それを暴力で得ようなんて、やってること立派な盗賊やないの!」
「いいから吐けよ。知ってるから近付いたんだろ」
「よう聞いてくれました! この情報は高いでぇ〜……! あんさんにはよう“世話になってる”し、それなりの“ご配慮”を見せてもらえれば、今ならちぃ〜……とばかし“まける”ことも出来るんやけども……」
どないしはります? などとのたまうよりも早く大和が拳を振り上げる。
「わぁーッ!! じょ、冗談やないですか!! 暴力はあかんて!! 振るっていいのは札束だけ! 義務教育やろ! ホンマに通じひんお人や……! 何で話しかけてもうたんや……!」
減らず口をいっぺん殴って黙らせようかと何度思ったか知れない相手ではあるが、睨みつけたまま拳を下ろす。
「綾瀬真花やんな! 言うて別になんも知らんねん! あの昨日あったバス爆発事故に巻き込まれてはったみたいやけど、無傷でなんもあらへんかったってことくらいや! 何人か知らんけど死人も出てたはずやし、奇跡の生還やんな! ……確か。あれっ、重傷者やったっけか? ともかく、マドンナが無事なのはええことや!」
……その程度か。
大和は既存の情報しかないことに呆れたのではなく、感嘆した。あの学内きっての情報通の狐月でさえ、通学路で起きた大事故の死者数すら正確に把握していない。
「綾瀬さんに直接聞いてみても、事故のことはぼやーっとしててよく思い出せないってことで、ホンマにショックやったってことやないやろか。ほんでみんな憶測だったりなんだりで事故のこと噂しはんねんけど、みんな言うことバラバラやし、あんま興味ないんかあっさり話変えんねん。ほんま薄情やわぁ」
……大和は知っている。
事故の死者数は九人。どこにぶつけたわけでもない不自然な横転で爆発を起こし、乗客全員即死だった。そんな中、自分と綾瀬のたった二人だけが、無傷の生還をして、即日退院して学校に来ている。まるで、何事もなかったかのように。
……こんな話が、こんなまるで“最近この辺で空き巣があったらしい”“へぇ、怖いね”程度の認識で終わるはずがない。
(記憶処理、情報操作、か)
大和は霧谷雄吾の言葉を思い出す。
『彼女には記憶処理を施し、一般生活に戻ってもらっています』
UGNは、日常を護るための組織。
非日常は、それに辿り着く出来事は、隠蔽される。
決して、一般人を“こちら側”に迷い込ませることのないように。
「……あのー。……大和はん? これでええですのん?」
「……ああ。あと、ヤガミ……なんつったっけ。あのうちのクラスの陰気な奴のことなんか知らねぇか」
「あぁー。正味本人地味やしどうでもええけど、ここ最近急に綾瀬さんにべったりで男子が嫉妬してはるっちゅー話? 好きなんちゃう? 綾瀬さんのこと。誰にでも優しいし、勘違いする奴多いんやろなぁ」
なんだと……。
と、思わず口に出しかけるが、最後の一言ですんでの理性が働き危うく飲み込む。
確かに、真花はそういう人だ。
真花に執着とは許せない。が。
……俺も、勘違いかもしれない。
──真花。アイツが何考えてんのか、聞き出せたらな……。
葛藤を抱えて思案しながら、狐月に雑に礼を言って、昼食を買いに食堂へと立ち去った。
◆
「はい、並んで並んでー! はい並んでー。しっかり並んでねー。はいじゃあ、焼きそばパンはこっちの列」
「昼顔さん、何してんっすか……!?」
食堂に辿り着いてみれば、昨日ぶりの見知った顔が我が物顔でレジ側に立ち、声を張り上げて列整備をしていた。伏見有菜も当然のように生徒たちに整理券を配っている。
「なにって。出張だよ出張」
「やぁ。店長。今日もお疲れ様です」
すっとぼけた様子で腰に手を当て仁王立ちの昼顔に、優等生スマイルで挨拶して焼きそばパンを購入している達哉。
──なんなんだこいつら。どこにでも居るな!?
「……いやっ、そうじゃ……や、もういいっす。そっすか……」
諦めて列の少ない方に並び、あんパンやら定食やらを買って適当な席に着く。大和の定位置は、とにかく人を避けた隅のテーブルだ。大和が座ったとなれば尚更、近付く者は居ない。
……はずだったが、今日は違った。
「……隣。座りますよ」
見上げればプレートに焼きそばパンとサラダを乗せた達哉が、あの病院以来の冷めた無表情さで犬獅子の横に立っていた。
「あ? ……あ、あぁ。別に、いいけど……」
どうも、と短く礼を呟いて席に座り、焼きそばパンの包みを剥きながら話しかけてくる。
「初日だ。何か気になったことはあるか」
もはや敬語すら使ってこなくなったのは何のつもりか知れないが、まぁ、そもそも同い年に敬語の方が気持ちが悪かったし、多少偉そうなのはさておいても、大和としてはタメ口の方がしっくり来る。
「気になったこと……か。……みんな、事故のことは知ってはいるが興味ねぇみたいだった。……これが、ユー、なんとかっていう奴のやり方なんだろ」
「UGN。……そうだ。一般人に詮索させるわけにはいかない。その点、犬獅子。お前はもう“一般人ではなくなった”」
……元から“一般人”のつもりはなかった。
世間からの爪弾き者。それが大和の自己認識だった。しかしそれですら、これまで大和の生きてきた小さな世間の物の見方でしかなく、“世界”は大和のような者でさえ“一般人”として認めていたのであろうことを、こうして“世界の常識の綻び”を眼前で見せつけられると気付かされざるを得ない。
「……お前ら、いつからこんなことやってんだ」
「……二十年前。世界はレネゲイドウィルスの拡散によって様相が変わった。レネゲイドウィルスは人々に未知の力を与え、多くの人を人ならざる者にした。世界中で化け物が暴動を起こし、耐性のなかった者は死に、適合によって覚醒した者は“人々と秩序を護る者”と“既存秩序を破壊する者”とに分かれた。──適合者──俺やお前のように、レネゲイドウィルスの未知の力を理性でコントロールすることに成功した者たちのことは、人ならざる力を得て、超人──オーヴァードと呼ばれるようになった。覚醒理由もその能力や強さも人それぞれだが、そのオーヴァードの力を悪用して殺戮と混乱を招こうという連中が、ファルスハーツだ」
「……そんな大事件が俺の生まれる前からあったなんて、見たことも聞いたこともないぞ……」
「……見たんだろ。UGNの記憶操作を。……世界各国首脳は、連携して隠蔽しきることに決めたんだ」
黒峰はパンをじっと見つめたまま、とうとうと語り続ける。その眼差しは重く暗い。
「……オーヴァードに対抗できるのは、オーヴァードだけ。そして、オーヴァードはその理性の糸が切れた時……ウィルスが人を乗っ取ろうと促す衝動に負けて、人の心を失い、効率的に衝動を発散するだけの怪物になる。殺戮衝動、憎悪衝動、自傷衝動、恐怖衝動……それらは、ほとんどの場合通常の人間と判別がつかない」
「なん……」
絶句する。
今まで、人だと思っていた中に。
そういった“怪物”が紛れ込んでいたとしたら。
「世界各国首脳は、その疑心暗鬼によって世界の秩序が致命的に乱されることを恐れた。ただオーヴァードを発見次第殺せばいいなんて話じゃない。レネゲイドの力を持たない者に、オーヴァードは殺せない。……だから、その存在の記録を世界から抹消し、オーヴァードを“飼い殺す”ことに決めた」
──それが、UGNだ。
達哉が焼きそばパンをかじり、咀嚼する。
大和は、箸が止まったままだ。
「……まぁ、俺がそれを知ったのは三年前に覚醒してからだから、お前とそこまで大差はないんだけどな」
「……覚醒。……じゃあ、お前も、俺の時みたいになにか事件があったりしたってことか……?」
達哉がちらりと大和を盗み見て、また一口かじる。
「……そこまで話してやるほどの義理はないな」
「はぁ!?」
「言ったろ。覚醒理由は人それぞれだって。大事件に巻き込まれた場合も、ほんの些細なきっかけの場合もある。人によっては、生まれた時からオーヴァードだった奴も居るんだ。……多くの場合、覚醒と同時にUGNに発見保護されて、監視をつけられたり、施設に引き取られたりする。……俺は後者だった。施設では通常の教育だけじゃなく、能力や衝動のコントロールの仕方を教えられる」
「……お前の、能力……衝動は?」
大和は、同時に考えた。これから先、自分の心身を蝕んでいく能力、衝動はなんだろう。と。
達哉は目を逸らし、右手でピアスに触れた。
「……さぁ? お前も、せいぜい気を付けろよ」
──舐めた言い方だ。
肝心なところでキザな態度でかわす上から目線な物言いに反発しようとした時、背中をバンと派手に叩かれて呻く。
「よぉッ、学生諸君! 飯食ってっか〜!? 焼きそばパンもあんパンも完売御礼! はー疲れた疲れた! 一服していいかね!」
「店長。ここ禁煙だよ……ってか吸わねーじゃん……」
「なぁに、コーヒーブレイクだよコーヒーブレイク! おう達哉! お前〜そんなスカしたサラダとパンだけで足りるのかぁ!? もっと食え食え! ほらカツ丼持ってきてやったぞ店長の奢りだ〜ッ!」
同じく背中を叩かれてうずくまっている達哉の前に、ドン! とこれまた派手にカツ丼が置かれる。
達哉は呻き声混じりの掠れ声で顔を上げる。
「いえっ、俺……私は、まだ調査にすぐ戻ろうと思っていますので……」
「なぁ〜に言ってんだこの育ち盛り! 今飯食わなくていつ食うんだ!! 歳食ったらなぁお前コレステロール値とか気になっちゃってまァ〜こんな揚げ物なんか食った日にゃあアレよ!? あ〜若い時にたらふく食っとくんだったッつって! ほら大和、お前もだよこのエビフライ分けてやるから食えっ! サックサクで美味いぞぉ〜!?」
「え、い、いいんすか! あざっす!」
「店長、だから、私は食べてる暇が……」
店長、西昼顔は二人の向かいに着席して天そばに箸を入れながら憤慨する。
「ばっかお前、俺たちも調査ぐらいしてからここに来たんだからよォ、ここいらでひとつ情報共有でもしようかって話だよ! まったく達哉は一人で何でもしようとしすぎなんだよなぁ、ほら、お前ら伏見を見習って食えッ」
そういって親指で差された伏見が、テーブルの上に。──ドン。ヒレカツ定食、カツ丼、天そば、ラーメン餃子、焼きそばパンにあんパン、サラダと、およそ男子高校生でも一食分では食べきれない量をテーブルの上に置き、占有した。
大和が唖然とし、達哉は引く。
「それ、一人で食い切るんすか!?」
「当たり前だろう。食える時には食っとかないとな」
「……相変わらず、よく食べますね……」
したり顔の伏見が席についていただきますをするなり、物凄い勢いでカツ丼をあおり貪り食い始めた。
こいつの衝動、“食欲”とかなんじゃねぇの……と思わず唾を飲むほどの食いっぷりだ。
食い盛りの男児として食い気には人並みの自信があった大和だが、正直これには勝てんと引き気味にヒレカツを口に運ぶ。横で達哉もじっとカツ丼を見つめた後、結局大口で頬張りはじめる。
「でー達哉。そっちでなんか分かったことあったのか」
昼顔が蕎麦を啜る。
達哉は口いっぱいのカツと米を五回ほど咀嚼してごくりと飲み込み、報告する。
「……矢神秀人ですが、犬獅子大和、綾瀬真花と同じクラスメイトでした。犬獅子大和が綾瀬真花と会話しようとしたところ、矢神秀人はそれを妨害しようとやっかむ態度を示しました」
「あぁ。なんか変だったな。急に割って入ってきやがって。あんなの初めてだったぜ」
「……彼のことを彼の同級生に聞いて回ったところ、普段は目立たず大人しい生徒でしたが、ここ最近は何かにつけて人を見下すような言動が増え、性格が変わってきているそうです」
「ほーう。人を見下すような言動ねぇ。そいつぁー、良くねぇーなー?」
……それ、まるで誰かさんみたいだな?
「……まったく……酷い人ですよ。そういうことは絶対に辞めるべきです」
「人を見下すなんてなぁ」
「……そんなやつがいるのかあ」
達哉がぼやくのに合わせて、昼顔と大和は追撃する。
昼顔も同じことを考えていたのか、ニヤニヤと達哉を見つめている。
ちらっと達哉の顔を盗み見るが、その顔は思い詰めたように憤慨に満ち溢れていた。
「……本当に。人としてどうかと思いますよ……そんな、人を見下すような言動をするような輩、許せるはずがない……ッ!」
箸を親の仇のように握りしめて義憤に燃えている。……いやいや。こいつマジで言ってんのか? マジなのか。マジらしい。
伏見はカツ丼を食いきり、ラーメンを派手な音で啜っている。
「……あー。そうそう。ヤ、ヤー……ヤガミ、ヒデト? だっけか? っていや、俺も聞いたんだけど。アイツ、最近真花のこと気になってんじゃないかって、噂になってるらしいんだよな。いつもべったり休み時間に話すようになってたらしいぜ」
「……ほう。綾瀬真花にご執心というわけですか。差別主義者も人並みに恋愛するんですね」
そういうとこなんだが。と達哉をまた盗み見るが、達哉はまるで気付かず二口目を頬張る。
昼顔が笑いを堪えながら水を飲み干す。
「その、綾瀬真花って子は大丈夫なのか? 何か変わったところとかさ」
「あぁ……いや、変だったからさ。聞いたんだよな、周りの奴に。そしたら、まぁ、やっぱり爆発事故に巻き込まれたけど無傷で、本人もよく覚えてないし、周りの連中もはっきりしたことは何も知らないし興味もないらしいんだ。あんなことがあったばかりなのにな」
「それで、UGNの情報操作について彼に教えていました」
達哉が補足し、昼顔が頷く。伏見は焼きそばパンとあんパンを丸呑みしている。
「私もUGNの情報網を当たって綾瀬真花について調べたんですよ。彼女はどうやらレネゲイドウィルス適格者の可能性があり、ファルスハーツは彼女を覚醒させて確保しようとしているようです。特に、シューラ・ヴァラは強く執着しているようで……。この“シューラ・ヴァラ”というコードネームの人物について、何かご存知ではないですか?」
真花がレネゲイドウィルス適格者!?
あくまで可能性とはいえ、まさかそんな話になっていたなんて。大和はヒレカツを奥歯でぎりりと噛み切る。達哉が昼休みに調べようと思っていたことを、昼顔は既に調査済みだった。
「N市に潜伏したファルスハーツのエージェントだな。鋭い切れ味の武器を使う。奴の正体は、春日恭二と接触して覚醒した──矢神秀人だ。あのバス爆発事故は、ファルスハーツの計画の一環として奴が起こした」
……矢神秀人。
あの目立たない奴が、まさかそんなことをするなんて。
いくら超人的な力を得たからって、これまで普通の生活をしていた奴が、急に平気で人殺しのテロ活動ができるなんてことがあるんだろうか?
──自分には、できない。やろうとも思わない。
いくら真花のためだとしても……ん? 真花のため?
「おかしくないか? あいつ、真花のこと気になってんだろ? なんで気になってる奴をそんな事故に巻き込んで殺そうとするんだよ。覚醒したら味方になるかもしれなくてもよ、もしそのまま死んだら元も子もないじゃねーか」
「知ったことか、人の姿をした怪物──ジャームの考えることなんて。本人に聞いてみればいい。聞いても到底理解できるとは思えないがな」
達哉が残りの米をかきこむ。
伏見が〆の天そばを食い終わり、手を合わせている。ヒレカツ定食もいつの間にかカラだ。同じメニューを注文していたはずなのにまだ食べ終わっていない大和は驚き焦り、負けじと味噌汁を流し込んで喉を詰まらせ咽せる。
伏見が暗い面持ちで口を開く。
「春日恭二……。奴の動向を、私は調べた。……奴はこのN市に潜伏し、レネゲイドウィルス適格者候補を見つけ出し、確保しようとしているようだった」
「なるほどなぁ。さしずめ、あちらさんも人手不足ってところか? だとしても、あのやり方じゃあいけねぇなぁ」
水を飲んで一息ついている達哉、米粒を残しながら咀嚼している大和にかわって、昼顔が落ち着き払って相槌を打つ。伏見は頷く。
「先日のバス爆発事故は適格者候補を集め、実験したものだったのだろう。多くの死傷者を出した結果、無傷だった犬獅子と綾瀬が適格者候補に絞られたようだ。……近いうちにも、“来る”かもしれない」
「……春日恭二。こうも手ぇ広げられたんじゃ、こっちも黙っちゃいられねぇよなぁ」
昼顔は自らが拳を握っていることに気付き、ふっと手ぶらにする。
「要するにこうか! 『春日恭二は、オーヴァードを増やしてファルスハーツにスカウトしたい。んでいたいけで地味〜な高校生の矢神秀人──コードネーム≪鋭き投槍≫“シューラ・ヴァラ”を覚醒させて指図して、そっちはそいつの大好きな綾瀬真花ちゃんを大和同様、同族に覚醒させたい。はい、利害の一致』っと。そういうわけだな」
大和は唸り、達哉はコップを置く。
「無茶苦茶だ……それで人を巻き込んで、真花を巻き込んで何様のつもりなんだよ」
「……同感ですね。近いうちにもまず犬獅子大和の元にファルスハーツがやってくるのは自明でしょう。当面、護衛を続行します」
「……なぁ。さっきから人の名前フルネームで呼ぶのやめてくれねぇか。俺、隣にいんのに書類の人みたいで気持ち悪ぃんだけど」
大和は達哉に向き直り、異論を唱える。
「? では、“犬獅子さん”?」
「その“犬獅子さん”も“犬獅子”もやめろよ。嫌いなんだよその名前。俺のことは“大和”って呼べ」
「……え。あなたの事は当然調べさせてもらいましたが、ご両親を事故で亡くされているんですよね? あなたは親戚も厚くまだ比較的日常を送れる範疇でしょうし、いずれご実家を継がれるのでは?」
大和は盛大な溜め息を吐く。
勝手に人の素性を調べていやがる上に、例によって、この世で一番嫌いな言葉が出た。
「継がねーよ! 俺は俺で自由に生きる! 実家なんかに縛られたりはしねぇ! 俺の人生は俺の自由なんだよ!」
拳を握って大見得を切った犬獅子に、黒峰はほう、と感心する。
「そうですか。確かに、あなたの人生はあなただけのものです。私もよく同じことを考えているのですよ。……なんだ、良いことを言いますね」
「そうだろう! だから俺は周りの指図は受けねぇし、俺を縛るくだらねぇ規則は破ってきたし、ムカつく奴は全員ブン殴ってきた!」
突然黒峰の顔が曇る。立ち上がった大和に対して眉間に皺を寄せている。
「……はい? それ、ただの我儘って言いません?」
「知ったこっちゃねーよ! 俺を若、若って言いやがって。そりゃ、流石に高校卒業できねーのはヤバイと思うから留年しない程度には行くけどよ、服装だの時間だの課題だの、やってられっか! 何が“務め”だよ! 俺は俺であって、神がどうとか言うようなクソダリィ連中の偶像なんかじゃねぇんだっつの!」
だから、大和って呼べ! 分かったか!
……そう言う大和を見て、黒峰は呆れて顔を逸らして睨む。
「……あぁ。要は、“馬鹿”ってことですね」
「何だと……!?」
「服装規定は市民の血税で行く学校の印象を落とさないためのものです。時間に合わせて行動できない者は社会からも信用されません。課題は知識という自らの生きる力をつけるために行うものです。暴力は他者の自己所有権を侵害しているのでもっての外。……あなたはそんなことも分からないで、“自由”という言葉を使っていたんですか?」
「あァん……!? テメェ、さっきから偉そうにスカしやがって……!!」
「……はあ? 偉そうだって? これは単に事実を言ってるだけ──」
「はい。ストーップ」
黒峰まで立ち上がったのを見て、昼顔が両手を二人に突き出す。器にはまだ茄子天が残っているが、それよりも優先した。
「ヒートアップもそこまでね。若いモン同士喧嘩すんのは悪いことじゃねぇが、今は協力するべきじゃあねぇのかな。──人の命、掛かってんだぜ?」
顔を上げた昼顔の目つきは、先程までの調子とはまるで変わっていた。まるで亡霊のような瞳に、大和はぞくりと薄気味悪さを感じて押し黙る。
「……お。おぉ……」
「……こんな自分勝手な奴、どうなろうが別に……! ッ……、──……何でもない。……“支部長”の仰る通りです」
大和は気圧されたように座る。達哉も目を逸らして座り、ばつが悪そうにピアスをいじりだす。
そういえばお前のそれも校則違反じゃ、と言い返したいところだったが、今度にした方が良さそうだ。
昼顔はパッと、満足げな笑顔に変わる。
「まっ! ひとまずは大和も狙われる身だ! ……ひとつ教えておこう。近いうち春日や俺たちの敵となるオーヴァードに襲われた時。大和、お前は“今までの人生で知らない感覚”……オーヴァード以外は昏倒してしまう特殊な領域……≪ワーディング≫に襲われるだろう。──だが安心しろ。お前には俺たちがついてる。何かあったらすぐに連絡しろよいいな!」
「……う、うっす!」
──よぉーし良い返事だ!
そう大和の頭をわしゃわしゃと乱してくる昼顔。
……達哉の護衛は気に食わないが、このオッサンは信頼できる。なんだか、そんな気がした。