
── 桐条朔夜・旅立ち
◆ UGNイリーガル登録まで ──
ある日の休日。
桐条朔夜は「たまには外食しよう」と母親に声を掛けられた。
面倒だと笑って抗議しつつ、いいからという押しに負けて支度をして家を出た。
母親に連れられた店は、いつもなら入らないしっかりした食事処で、個室を予約していたようだった。
(……なにか、いつもと違うね)
違和感を覚えた桐条だったが、その理由はすぐに理解した。
「ごめんね。実は今から人と会うんだけど、いつも通りでいいのよ。会ってくれる?」
「……え。……うん」
連れ出された後に言われて駄目とは言えまい。
そうして一人の男が入ってきた。
……恐らくは母親と同年代の男だ。
「こんばんは。初めましてだね朔夜くん」
「この人はね。職場の専務の立花さん」
妙に小洒落た母親の姿といい、確信した。
──これは、再婚を考えている相手だ。
「……はじめましてー。どうぞよろしくお願いしますー」
いつも通りの笑顔で微笑んでみせる。
体は少し硬直していた。
しかし、意外にも筋肉質で爽やかな印象の……父親くらいの年齢の男は、こちらの心情を察するようにほのかな苦み混じりの穏和な笑顔で返してきた。
「あぁ。ごめんね。お母さんの話に聞いてたら、もしかしたら話が合うかもと思って話してみたくなっちゃってさ」
曖昧に微笑んでおく。
母親とその男は、何食べる? と随分気楽に会話している。聞かれた分は、サラダとコーラ。と答えておく。今日は少食になるかもしれないので、コーラで膨れたとして取り分けさせようと考える。
母親の幸福になればそれは勿論嬉しいが、あまりに突然で、自宅での生活が変わる予感は流石に落ち着かない。
タロットカードで見えた男の影。まさかこういう意味とは。
「最近の子って漫画とかアニメは何観てるの? 好きなのある?」
「……あぁー。呪術廻戦とか、鬼滅の刃ですかねー」
「あぁー今時だよねぇー。流行ってるもんね。ジャンプ派かぁ意外だな。深夜アニメとかは観る?」
……無難どころとしても実際好きで会話できるところを選んだつもりだ。顎に手を当てる。
「……最近のアニメだと、リコリスリコイル、っていうアニメとか……」
「おぉー。ちさたき良いよね」
(……えっ!?)
反射的に口角が上がる。思わず顔に出た。
何故なら桐条朔夜という奴の最近の推しだったからだ。この呼称は“その手のヒト”だ。
男は手応えを感じたらしく、破顔する。心からのものと見える。
「俺はこの歳になってもきららタイムとか好きでさぁー……。結婚できないよと言われても、好きなもんは好きなんだけどねぇー」
(……うん。これは。悪い人じゃないな)
オタクとして警戒が一瞬で氷解した瞬間だった。
隣で母親がニヤニヤしながら唐揚げを取り分けている。
まさか人が隠していた性癖をバラす親がいるとは思うまいが、正直感謝した。
それなりに“分かってる”作品群を挙げられてしまったため、思わず口を滑らせすぎない程度に返答を返していく。
そのうちに母親が手洗いに立ったので、一瞬だけ性癖ジャブを入れて様子を見ようかと男の顔を見た時だった。
「……君って、レネゲイドって聞いたことある?」
──硬直する。
へらっと笑い、どんな作品ですか? と返す。
「君の相棒も格好良いね。……あぁ。実はUGNの人間でもあってさ。影山さんと久々に話してきたよ」
「……へぇー。……なるほどね? ……お母さんのことが好きなのかと思ったんだけど」
「好きだよ。職場で出会って、純粋に話してたんだよ。君の話を幸せそうにしてた。まさか息子さんが覚醒者とは思ってなかったんだ。こんな偶然もあるんだね……」
はっきりと言い放ち、微笑む男を見つめ返す。
テーブルの下の“影”は触れあっている。
《シャドウダイバー》。桐条は目の前の男の感情に嘘が無いか探る。
男は、受け入れるように目を閉じた。
流れてくる感情は……愛情、好奇心、庇護欲、不安……不思議なほどに、不和がなかった。
「……UGNの協力者として、正式に登録してくれないかな。……といっても、すぐじゃなくていいし、第一に無理はさせたくない。時間は掛かっても、君には俺を頼れる家族だと思ってほしい。君は無理をする能力者じゃない?」
「……。なんの話?」
「聞いてないかな。君のシンドロームはかなり命の危険が伴う。ケアができるよう手配したいんだ。ここは引っ越すことになるけど……学校のこととかあるだろうし、難しい?」
「……ここより都会ですか?」
「日本の首都だねぇ」
「……俺以外にも、覚醒者が居ます」
「聞いた。追って手配はするけど、影山さんに一任するつもりだよ。俺もあくまで協力者でしかなくて、そう何人もどうにかできるコネがあるわけじゃないし……」
「……うん。じゃあ、いいですよ。具体的なことは改めて教えてください」
「……ありがとう。……お母さんもだし、君も落ち着ける環境になるよう努力するから、何でも言ってほしい」
これは、契約でもあり、母親の再婚を認めるということでもある。
そして、新しい父親としても。
母親が戻ってくる。
新しく来たつまみを取り分け、何を話してたかさりげなくつついてくる。
「……あ。でも。……立花さん、でしたっけ」
「立花啓。どうした朔夜くん」
「……俺、苗字は桐条の方が好きなんですよね」
母親が目を丸くし、父親は笑う。
不在の間にこうも話が進むと驚くだろう。
「いいよいいよ。じゃあ、仕方ない。お母さんだけ変わっても、君は変わらないようにはできるよ。残念だけどなぁ」
「俺、桐条だからね……」
「落ち着いたらまた考えてくれればいいからね」
「なになに。何の話!」
「男同士の話だよ!」
「うん」
父親はビールを煽り、桐条はコーラを啜る。
そして困惑して笑う母親にサラダを取り分けてやって誤魔化す。
……新しい日常が始まった。
数週間後。
桐条朔夜は、住み慣れた田舎町を離れるのだった。