
──“人生を走る者”水琴七瀬
◆ SceneEx:再会・黒峰達哉のチルドレン時代 ──
──熱い。
──熱い、熱い……!
──振り返ったのは、進路相談室での面談の事。
──みんなの夢を応援するばかりで。
──俺は、何も決まってなくて。
──だって、大学は内部進学すればいいし。
──だって、俺はみんなと、ずっと陸上やっていきたいから、その為の事しか考えられないし。
──だって、俺はジジイになっても『良い走りだ』って自分で思える走りをするって、アイツと約束したし。
──だから、就職とか将来とかより、今みんなと陸上がしたいし。
──だから、覚醒したって陸上は続けていくし。
──だから、今目の前のみんなの為に……!
◆
住み慣れた街が火の手を上げている。
子供の頃、登って遊んでよく怒られた公園の木。
初めて家族でランドセルを買いに行ったデパート。
昨日も二割引のショートケーキを買って帰ったスーパー。
住み慣れた街が、燃えている。
それをこんな風に展望台の屋上から見下ろしていると、まるで違う世界にでも迷い込んでしまったようだった。
ましてや目の前に、手の伸びるヒトモドキな怪物がゆらゆらとこっちを見て歩いている。
「……なんなんだよ、これ」
つまらない台詞だ。
俺が昨日観た映画でも、主人公はこう呟いてた。
だったら、俺が主役か?
俺の横の小さな女の子も、ママ、と呟いて泣き出した。
そうだよな。おうち帰りたいよな。
──その泣き声で、化け物は──女の子を、見た。──
……考えるより早かった。
俺は女の子の前に出たんだと思う。
化け物の刃の前に。
咄嗟に身構えた腕が、綺麗に切られて、熱い。
吹き出した血が滴れて、赤い。
熱い、赤い。
違う。
それは、炎の色だった。
「クソッ……意外と、粋な言葉のひとつも出てこないモンですよ」
昨日観た映画では、主人公はここらでハリウッド並の台詞を決めていたのに。
だったら、俺は主役じゃないのか?
熱く赤い焔を振り払う。
眼前に据えられるのは、
──哀しそうな、
──怪物の、
──人の、
──泣きそうな
──顔で……──
閃光が走って、その顔が抉られ、仰け反って、倒れる。
後ろから銃声が二発鳴ったことを、今更認識する。
涼やかな声が、軽やかな足音と共に着地を告げる。
「──足止めご苦労様です。次は加減するなよ。イリーガル」
まるで、映画みたいな台詞。
その聞き覚えのある声に振り返ったら、それは、やっぱり、なんで、見覚えのある顔で──
「──達哉君?」
俺はその名を呼んだ。そうしたら、やっぱりそうだった。
「──七瀬、君?」
話し掛けられて戸惑う顔も、俺よりデカい背も、緑の目も相変わらずだった。
最後に会ったのは、高校受験前以来の、俺の幼馴染。
小学校からの付き合いで、高校上がって少ししたら急に連絡取れなくなって、大会にも出なくなった、俺の陸上仲間の一人。
黒峰達哉だった。
「……お前っ! 生きてたのかーっ! 心配してたんだぞ、急に返信も既読も友達も切れてて! また背もデカくなったんじゃないか!? くそー俺だって伸びたのになぁ!」
「……七瀬君」
緑の目がちょっと横に動いたと思ったら、あろうことか俺の幼馴染で大親友の一人の黒峰達哉君は、俺に銃口を向けた。
抗議なんて間もなくて、目も瞑る暇もなくて、銃声と閃光に気付いた一瞬あとには、ドサッと俺の後ろから音がした。
「えっ」
振り返ったらそこには怪物の死体。軽く蹴ってみるが、息をしていない。
「……ここは戦場ですよ。何故あなたがここに?」
命の恩人をまたも振り返ると、無表情さに眉間の皺と冷や汗が見えた。
「なんでって」
「いや、良いです。イリーガルですね。作戦指示は“シルクスパイダー”から受けてください。水琴七瀬」
俺が口を開くより前に、腕の炎を一瞥してそう告げる。
達哉の後方から、続々と高校生くらいの少年少女たちがヒーロー映画さながらの身体能力で跳んできて、かたや炎の剣、かたや雷撃、かたやかまいたちで、次々と怪物を薙ぎ倒していく。
最後、凛とした少女がクルリ、空中で回転しながら着地する。
「“アナーキスト”! 彼が“スタンド・バイ・ミー”。でもあなたは予定通りこのまま先行して。彼は足が遅いの」
「承知しました」
「ちょっと! ワタクシこれでも陸上部エースですよ! 遅いわけないでしょうて!」
間髪入れずに抗議する。
人生を走る者。スタンド・バイ・ミー。
コードネームはどうするって聞かれて、真っ先に答えた一番好きな映画のタイトル。
なら、“アナーキスト”ってのは?
“シルクスパイダー”は俺に一瞥だけくれてこう言った。
「そう。“人間の中では”そうかもね」
え。
なら“あなたがたは?”
俺は大親友にこう聞いた。
「達哉君はなんでここに居るんですか。ここ、戦場ですよ」
達哉君は、何故だか、人を嫌悪するみたいな顔でこう言った。
「──私が、私だから。ここを基点に、解放の狼煙を挙げるから。私が、私のニヒルを殺せるから──」
サッパリ、知らない顔だった。
こんな顔の達哉君は見たことがなかった。
こんな声の達哉君は聞いたことがなかった。
こんな事を言う達哉君は、知らなかった。──
そう打ちのめされているうちに、達哉君は毅然と敵を見据えて、いつも見ていた姿勢を取る。
誰よりも美しいフォーム。
誰よりも速いタイム。
誰よりも完璧であろうとした達哉君の、クラウチングスタート。
誰よりも、速い──
「……こりゃ、一生勝てませんな」
飛び出した達哉君は、もう人間にできる速さじゃなかった。
人間じゃない。そうだろうか。
そんなところも含めて、彼は誰よりも人間だとふと思った。
“シルクスパイダー”だったかは、こう聞いた。
「……彼とは、どんな関係?」
俺は、ぼんやりとその背中を眺めながら、暖かい炎を感じながら呟いた。
「……俺の、幼馴染です。ライバル、だった──」
憧憬と共に呟いたそれは、素直な羨望だった。
俺には、まだ生き物を殺せない。
だから、女の子の手を取って引き返した。
この子が自分の思う人生を走れるように。