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―HISTORY

Episode4 
相沢

 

 

 

 

 著者、夏目漱石の本『草枕』の中に、このような文がある。

『恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。

 然し自身がその局に当れば利害の旋風に撒き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。

 したがってどこに詩があるか自身には解しかねる。
 これがわかる為めには、わかるだけの余裕のある第三者の地位に立たねばならぬ。

 三者の地位に立てばこそ芝居は観て面白い。小説も見て面白い。

 芝居を見て面白い人も、小説を読んで面白い人も、自己の利害は棚へ上げている。見たり読んだりする間だけは詩人である。』


 ところで、普通の芝居には時々こういう決まり文句がある。
『あなたはいつも他人事。薄壁一枚隔てたみたいに、他人をガラスケースの上から眺めているみたいに、他人事。

 人の痛みを知らない最低な人よ。評論家のつもりなの。』

 これは近年の作品において大抵、幼馴染かなにかのヒロインが、あらゆる事件が起こっても淡泊でいる主人公に向かって業を煮やして叱責する台詞として使われている。
 ここで、時にこの主人公の肩を持ってみよう。
 何が悪いのだろうか。
 漱石の言葉を借りれば、"非人情"であると言えようその主人公は、その幼馴染にとって悪であるらしい。
 "非人情"の何が悪いのだろうか。
 先の作中での漱石は、人情を免れて、"非人情"の旅をはじめる。
 人情に溢れ返っているこの人の世で、そういった非人情の心持ちを生まれながらに備えている若者があったとして、何を叱責されることがあるのだろうか。

『苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世につきものだ。

 余も三十年の間それを仕通して、飽々した。飽き飽きした上に芝居や小説で同じ刺激を繰り返しては大変だ。』

 そういうわけでこの物語には、"非人情"な一人の若者が登場する。
 彼が主役だ。
 彼は非人情であるから、主役をいただいていても、気付きもしない。歯牙にもかけない。
 暑苦しい弁舌を披露することもないし、メロドラマに三話も四話も消費したりしない。
 少々口下手であるために、物語の語り部を担ってくれることは皆目ありそうもないが、とにかく、今後どんなに特徴的で、行動的な人物が他に現れたとしても、この物語の主役は一切揺らぐことなく彼なのだ。

 彼はそう、二十歳そこそこの若者だ。
 青白い肌をして、クラブミュージックがお好き。
 踊る事には興味はなく、ただそういった音楽を聴くのが好きなのだ。
 彼はそういった音楽をつくる作曲家やクラブのDJに憧れて、窓とカーテンを閉め切った暗がりの部屋の中、PCに向き合って楽譜を打ち込み作曲をしたり、ダウンロードした音楽をミックスしてつくった楽曲をインターネット上に匿名でアップロードしたりしている。
 非人情な彼は大学に通ってはいるが、出席はまばらで、この間催促の通知が届いたばかりだ。友達は非常に少ない。近頃流行のSMSの彼の連絡先欄には、もう何年も連絡を取っていない中学生時代の友人たちの他には、botしか並んでいない。半匿名SNSの方には、数百人という相互フォローがあるようだが。

 そう。彼は、この二十一世紀の中頃において、極めて一般的な、どこにでもいる"非人情"な若者だ。
 そんな若者が主役なのだから、さぁ大変。
 その主役の彼が、ヘッドホンを外し、青白い光を放つ板切れの前から、とても重病そうに立ち上がると、真っ黒い薄手のコートを羽織る。
 何やら大層に思案しながら財布をポケットに突っ込むと、フラフラとワンルームを後にした。

 向かう先はコンビニエンスストアと、ゲームセンターだ。
 まず、コンビニエンスストアでワンコインのコーヒーを購入し飲み干すと、真っ直ぐに最寄りのゲームセンターに入る。
 二、三か月は床屋に行っていない髪が空調の風を受けて揺れている。
 到着する也、彼は少しも迷うことなく一つの台の前に立ち、軽くボタンを触った後、何やらカードを翳し、テンキーに暗証番号を打ち込む。
 先程までずっと眠りかけているような顔をしていたのが、別人のように目を覚まして真剣な眼差しでブラウン管のモニターを見詰め、青い光や赤い光を浴びながら、ひたすら指先でたくさんのボタンを叩き続けたり、小指の先でターンテーブルを回したり、止めたりしている。
 そういうことを彼は三時間もずっとやり続ける。
 彼がゲームセンターから出てくると、ポケットから携帯端末を取り出し、それを操作する。
 そうして彼は、真っ直ぐに帰路につく。
 これで彼の一日は終わりである。

 なんということだ。

 彼はたかだか徒歩数分圏内を歩くだけでその一日を終えようとしている。

 巨大な悪しき竜を打ち倒さんと聖剣を携え果てなき旅路に出るわけでもなく、紛争地帯で武装蜂起し革命を起こそうと奮闘しているわけでもなく、文明の滅び去った世界を孤独に彷徨うわけでもない。

 ただ、ご近所を一歩二歩出た程度で一日を終えるのだと、そういっている。

 なんせ、彼は地球という豊かな惑星の二十一世紀、経済の豊かな日本という地に生まれ、そこでそれなりに満足して生活しているのだ。

 これでは、波乱万丈な冒険譚を夢見る若者読者諸君を満足させることは難しいのではないか。

 彼はその若き読者が自らに重ね合わせ勇気を貰おうと期待する熱き血の滾ったハイスペックな青年などではなく、まさしくそういった若者そのものなのである。

 これで一体どのような物語を紡ごうというのだろうか。

 しかし、そう心配に思うことはない。

 彼がいつも通りに携帯端末の液晶を指でなぞっているときに、生温いこの街の空気にそぐわない涼やかな風が頬を撫でる。

 彼はふと何かに導かれるようにして、いつもの街路を振り返る。

 これはまさしく運命と言おうか、物語の始まりはこうでなくてはと言おうか、物語の主人公として語られる者というのは、やはり身近に事の大小を問わず何らかの異変が起こるものであって、それに気づき、対応しようとするからこその主人公なのである。

 彼はまさしく今、気付くだろう。

 すぐ目と鼻の先の交差点のその中央に在る、蒼白い光を薄く放つゾンビの存在に。

 そして、それ以上の違和感に。

 確かにそれは複数存在しているのに、誰一人それを見つめる様子がないことに。

 そう観察しているうちに、にわかに赤い光が閃いて、陽炎のように景色は揺らぎ、ゾンビは立ち消え、そして先程まで交差点の向こう側にあった赤い軽自動車が交差点に踏み込んだとたんに消えて、ごく普通に直進してきたがごとくにその車は彼の横を走り抜ける。

 その運転手、髪を染めた若い女の退屈そうな顔ときたら、とても不可解な挙動を体験したものとは思えない。

 彼女にとっては、ごくいつも通りの街並みでしかないのだ。

 いや、彼女だけではない。道行く親子や老人も、まるで気付きやしなかった。

 あっ、と声を上げることもなく過ぎ去っていった一瞬の不思議は本当にこのひと時の内に終わり、あとはまったくごく普通の、見知った生温い空気の交差点でしかなくなっていた。

 彼はしばらく呆然と交差点を見つめた後、静かに足を進めて帰路に就いた。

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