
はじまりはピュイの問題提起のことばだった。
「ねぇ、なんだか最近変じゃない。」こんな具合。
部屋をあとにする白い髪の少年に後ろ指を立てたと思えば、そんなことを眉根を寄せて話す。
誰もかれもそうだけど、特に女性は噂話がお好きだ。いつの世もそう。女性が機能してる。
変って。
まったくの平たい調子で返してやると、目の前の少女は体を乗り出す。
「あんた、本当はなにか知ってるんでしょ? 何だか知ってそう。あたしの知らないこといっぱい」
知ってるさ。色々と。でも目の前の君が今どんなことを望んでいるのかは、言ってくれないとわからない。
「ユヅキ、何だかぼーっとしちゃってるの。……クロラ、真面目に心辺りないかしら?」
僕はそっと肩をすくめ、大仰に足を組み替えてから、組んだ腕の拘束を強める。“知ってるけど知らないふりをする人のポーズ”。それをする。そうすると怒りだす。何よ、あんたが時々女以外の要件で出掛けてるの知ってたんだからね。って。
ごめんなさいハニー、君をその要件に含めてなくって。もちろん、愛してはいるんだけどね。
「女の影は……ないことはないけど、アレは若い身空で仕事ジャンキーだからね。まずないよ。それなりにハーレムなんだけどね。惜しいと思うのはいつになるやら。彼氏……もないね」
何か趣味を見つけたらいいのに、と鼻で笑って誤魔化しながら、自分らしい冗談だけでお茶を濁す。
「……いやいや。そういう恋煩い的な明るいニュースならいいんだけどさ。って、ないのね……」
すとんと座った彼女が、腑に落ちない顔で呟き始める。彼女自身が引っ掛かっていること。
特に、そう、あの【深遠なる闇】との戦いから。
最近、応答がどこか上の空なこと。任務に熱心だったユヅキが、どうも何事も他人事であること。
「あいつの仕事熱心さはうるさかったけどさー。でもまー、最近の、情熱をどっか置いてきちゃいました、みたいな風を見ちゃうと、なんかねー……」
誰かの出撃中の支援オペレートや、装備品の確保、果てはスケジュール管理まで、かの少年はそれが趣味とばかりによくやっていた。それを喜んで受ける者もいれば、正直面倒でもあった者もいる。ピュイなんかはまさに後者で、おせっかいだ、とよく話も聞かずに飛び出してユヅキを困らせていたものだ。
「防衛中のオペレーション、結構たすかってたんだけどなー……」
そういえば昨日は採掘基地への襲撃があった。指揮系統も失ったはずの蟲系ダーカーが、未だ懲りずに襲来を繰り返している件。まるで管理者を失った後も働き続けるボットのようだと以前に冷めた目で追い払った覚えがある。そう、その昨日の襲撃にピュイが出撃していたってわけか。そして戦果は芳しくなかったと。
「今更ありがたみが染みた? そういうの、失った後にくるものだよね」
「えーまだ失ったとは言ってないわ! でもでも、飽きちゃったんなら別にいいんだけど! あー楽だわー!」
ぶちぶちと文句を垂れ始めたピュイを眼下に、颯爽と立ち上がる。文句ありげな彼女を見下ろしながら、
「まぁ、コールドスリープの影響ってやつなんじゃないの」とありていの結論を渡す。
「えー! 本当にそれなのかしら! だとしたら脳まで凍結しちゃったの? 自然解凍中!? そんな技術で大丈夫なのかしら! 怖いわね!」
シャオに問いただしてやろうかしら! などと息巻きはじめたピュイに、ああそうしなよ会えたらね、と乱暴に返してルームを後にする。
なによー! わたしたちのユヅキなのよ! あんたは大切じゃないわけー!
そんな雄たけびがテレポーテーション中の粒子に混じってきた気もしたが、雑音だろう。
日付を示す時計が次の数字を示した頃。
ところでオラクルの間であまりにも一般化しているこの時計は、液晶時計というらしい。
時刻を計測したサーバーの送る電波を拾い、電気信号により液晶に直接そのまま数字を表示する形式。
僕が知っている最後の人類の時代には、デジタル表記の時計なんてものはフリップ時計でせいぜいだった。
大勢の人間は、巨大な時計塔のチャイムの音を聞いたり、腕に巻いたぜんまい仕掛けのカラクリの分針が示す時刻に従って生き、紙に印刷されたカレンダーにチェックをつけていったものだ。
今や僕はその遠い未来まで革新された技術。時刻を知りたい、と思いながら空中に指を滑らせるだけで、VRモニターが表示され時刻や日付に天候予定、あらゆる情報を教えてくれる。そういう技術で人類の定めた現在の時刻を知る。恐らくこれからも人類の技術は飛躍的に向上していくだろう。
……しかし、惑星の自転、公転速度から逃れることに成功した人類が、何故未だにそのような“周期”に拘る必要があるのだろうか?
元々暦というのは、惑星の公転周期に合わせていけるよう、太陽が地球の周りを回っていると信じて疑われていなかった頃から、何度も何度も紙の上の暦と実際の季節のずれを肌で感じながら、度々の改革をして長い時間をかけて作られていったものだ。
『今年の春分は真夏のように暑いですね』、『ええ、これからもっと暑くなっていきますよ。そして、秋分は真冬のように寒くなっていくでしょう』。こうしたやりとりの末、人類は紙の上の暦を何度も書き換え、より公転に対する精度を高めようと努めて安定させてきた。
オラクルは周知の通り、惑星間を航行する巨大な船団だ。
広大な宇宙空間を無機質な鉄の箱舟で渡り歩き続け、その活動範囲は数多の銀河に上る。
シップ内部では、微妙な大気割合を持つ惑星の昼夜を再現した空の色がスクリーン上で拡がり、人口太陽の明るさがそれに応じて変わっていく。
人類が作った紙の上の暦に従って催し物が行われ、人類が作ったカラクリの時刻に従ってシップの昼夜が動き出す。
人類は、宇宙を表現する理論によって、如何様にも狂える“時間”という概念を妄信している。
太陽などというあっちへ行ってもこっちへ行っても珍しくない恒星を数多に観測できるような宇宙空間に居住するようになった今でも、だ。
夜のパーティで口説いた女と夜通し過ごしても、朝になったら仕事へ出かける。
『夜がずっと続けばいいのにね。そうしたら、とってもステキ』そういった言葉を常に聞いて生きてきた。
――ずっと夜にできるよ。そこの設定をいじってごらん――でも、それは個人宅のVR背景上での話。
シップ内の全人類の時間は、おおよそ昼夜があって、それはシップ全体のVR再現に昼夜があるからであって、個人宅の背景をいじれても、決まった時刻が来ればそれは朝になる。
(ナゼ?)
人類はいつでも”時間”を捨て去れる。宇宙航行による時間のパラドックスも、時間という概念をそもそも捨て去ってしまえば、そこに矛盾は発生しない。
過去にトリップする特殊な能力も、それによって改変された歴史も、コールドスリープによって失った時間も、拘らなければ何の問題も発生しない。
それを何故、今更時間に拘るのだろうか。
(俺なら、馬鹿馬鹿しくて付き合っていられない。好きなように空間を生きるよ……)
響く足音を聞いて、静かに振り返る。待ち合わせていた男、マルス。
「早いね、クロラ。待たせちゃったかな」
「全然。君を待っている時間って幸せだからね。それはもうとても」
肩をすくめてご挨拶を受け流す。ああそう、と相手も喉に引っ掛かった受け流しをしてから、それじゃあさっさと本題に入ってしまおうか、と続ける。
「先日ユヅキ君が見つけた惑星、地球の件だけど。あっさりと情報が出てきたよ、“空間のゆがみ”による異世界なんだって。それはこの間も言った通り。」
そこでエーテル通信にハッキングをして検索をかけたんだけど……。
「かの地球の歴史では、西暦の1903年にフリップ時計が発明されている。ビッグ・ベンというのは“イギリス”という地名……うーん、エリア名みたいなものかな。そこに建設されている建物のことだね。愛称らしくて、本当はエリザベス塔って言うらしい」
「おかしいね、それ。改名でもされてない? 確か本当は、クロック・タワーって言うはずだよ」
「そうなんだ、西暦2012年に改名されて……。ねぇ、……こんなことよく知ってたね?」
喉の奥を鳴らして笑い、そっぽを向いて追及を逃れようとする。
「まぁ。少し、ね。」
訝し気に見つめてくる彼の目を逆に見つめ返し、近付きながら問う。
「このアークスシップでのフリップ時計、あるいはそれに類似した品の発明は?」
「出てこない。そもそも発案されてないか、もしあったとしてもあまりに旧暦の話なんだと思う。新光歴以前の記録は大部分がダーカー発見と共に消失しているようだし、そもそも仮に地球の文明の発達の過程をこのオラクル船団発足以前の歴史に当てはめた場合、その発明は船団建造よりも遥か昔の話だ。僕はその……“フリップ時計”っていうものを見たことがないけれど、地球の文化と照らし合わせた場合、現在オラクルでも地球でも使われている液晶時計が、フリップ時計を完全に淘汰した可能性はあるね。」
僕は少し伏目を持ち上げて窓の外の遥か遠くを見つめる。
「……やっぱり、地球の文明はオラクル船団が通ってきた文明と類似してるのかな?」
「……さぁ。そうかもね? ある程度知能が発達してきたら、どんな生物も大抵同じ道を辿るものなのかもしれない。地球人も宇宙進出を夢見て調査艇を飛ばしている段階みたいだからね。いずれはこのオラクルのように船団を形成して、外宇宙へと旅立つ仲間になるのかも」
アークス上層部は今のところはまだ調査の段階であるとして、文明そのものに一切の介入をせず、ただ純粋なその惑星としての進化を見守っていくつもりらしい。もういくらか介入しているようなものだと思うけど。と、どうでも良いことは内心にとどめておく。
「もしも龍族の時のように、向こうの技術や遺伝子情報を利用した秘密裏の研究が動きだすことがあれば、その時はすぐに守護輝士であるユヅキ君に報告するつもりだよ。彼は最早正式に僕らの上司だからね」
マルスが俯きがちに頷いた後、素直に疑問を口にする。
「どうしたの? 急にこんなことを知りたがって。いつも人間にしか興味がない君が」
少々鼻で笑いながら彼は小首をかしげる。
僕は涼しい顔で声色を変えない。
「そう? これもただの”人間への興味”だよ」
「そうかな」
「そう。ところで、現状エーテル通信とかいうのと、オラクルの通信言語では互換性がないんだ、とか言ってたのは一体どうなったワケ?」
よくハッキングできたね、と素知らぬ顔で話を変える。
「極めて簡単な方法だよ。“たまたま”地球人が幻創種か何かに襲われて端末を取り落としたのを、“たまたま”僕が拾って利用したのさ」
僕はご挨拶に目を細めながら、笑顔で手のひらを振る彼を見つめる。
それはハッキングというのかい、というのを喉にグッと堪えても、やはり一言いってやりたくてたまらない。
「……なんだか、君もご立派にアークスらしくなってきたじゃない? 元が蟲とは思えないよ。」
ダーカーらしい乱暴な手段。アークスらしい詭弁。
ある意味らしいのかな、と呟くと、目の前の男が少年のように笑いだし、失礼な。とのたまう。
「僕は与えられた指示にそこそこ従順であるだけさ。それはずっと変わらないんだ。使命に対して従順でなくさせるのは、いつでも人間の感情ってやつじゃないのかな」
主君を失ったはずの蟲たちが未だ惑星リリーパを襲っているのも従順さの証かい、と呟くと、眉尻を下げ、そうかもしれない、と力なく答えた。
数日前の話に遡る。
お人好しの何処ぞの勇者が、ピュイと同じようなことを言っていた。
しかし彼の続く言葉は少々違って、『まあ、放っておけばいいだろう』というものだった。
今にして思ってみてもやはり興味を引くというか、男性性と女性性の違いというものを顕著に感じる話だ。
彼は一過性のものと思いさほど気にしていないらしい。僕もそれは正しいと思うが、ユヅキに印象を与えたいなら過干渉を行って媚びることだろう。女性は何のかんのと自分を印象付けるのが好きだ。
しかし近年は文明の発達や種の安定が関係してかはしらないが、自分を愛らしく見せたいと思う少年の心を表沙汰にする男性も増えてきた。
端的に言ってしまえば、“押せば口説ける”男が増えた。明らかに、かつてにまして。
長命の勇者もご他聞に漏れないわけだが、今度ばかりはそういう色気のある話ではなくって、僕が彼の前で部屋の片隅に飾ってあったニキシー管時計に肘かけた時のことだった。
アナログにも紙とペンを使って物書きをしていた最中の彼がニッコリと笑って、椅子に体重を掛けて話しかける。
「あんた、そういうの似合うな? そのレトロクロック、知り合いが置いてったんだ。……お前にアンティーク趣味があるなら、そのまま置いとくけど」
僕は少しばかりしゃんと立ち、小首をかしげる。それから、少しばかり思案した。
「……アンティーク、ね」
「別に気に入ったわけじゃなかったか?」
お人好しの細やかな気配りを無視して、少々のお喋りをする。
「君はこの世界の住人じゃないね。文明も遥かに違うところから“来た”はずだ。……それで、君の世界にこの品はあったかい?」
ニキシー管を爪先でカンカン、と弾くと、目の前の男の表情がわずかに引き締まる。
「……お前は信じるわけだな。どういう経緯でそう考えることにしたかはしらないが、確かになかったよ。俺個人の空想の中ではそんな文明がアンティークというのはおかしい」
喉をかき鳴らすように笑って、僕は追求と慰めの言葉を吐く。
「生涯どころか国家の歴史そのものとなる時間を捧げきった偉大な勇者様も、遠い宇宙の果てでは妄言吐きの突飛なご病人だねぇ?」
眉間にしわを寄せたのを見て、満足な吐息で頬杖をつく。
「煩いぞ。信じたのか信じないのかどっちなんだ」
「君にとっての最後の人類の文明は蒸気機関車の登場だったっけね。かの地球の大きな化け物の始祖はそれらしいよ。君の求めた世界に関係があるといいね?」
「ないな。誇り高き神々の遺産の“風”ってものをあの星から感じない。エーテル粒子とやらも違う」
「おかしいね。水没した海の上で乾いた土の匂いがすると思うの?」
「喧嘩売りにきたのか?」
「君にとって未来の品も、この船団の上では骨董品の懐古主義なわけだ。俺達は今未来に生きている」
注意深く睨んで終わりまで聞いた彼がふっと肩を落とすと、横顔を見せてそうだなと呟く。
「……『俺達』?」
ねぇ、勇者くん。
「“君は過去に拘るのが好きかい?”」
沈黙の末、お前は、と返された小言を微笑みで制する。
不服げに篭った音からは、拗ねた子供の息遣いが読み取れる。
「……悪いことではないと思うよ。そうして前へ進む為になるのなら、上手に嗜んでいけばいい」
噛みしめて自らに言い聞かせるような彼の伏し目は、現在の時刻を示す時計を見つめて顔を上げる。
「いいじゃないか。ありのまま今の自分が好きなものをひとまずは愛でておけば。そのうちきっと満足する。人間なんて飽き性でいっこの状態なんて長続きしやしないんだ。ユヅキも、きっとそういう気分なんだろう」
「……へぇ、ユヅキ君が?」
息を抜きながら本の山に向き直ったお人好しが、力無い乱暴な喋りを投げる。
「あいつ、二年のコールドスリープから覚めたばかりだろう。……長いんだよな、子供の二年ってのは。きっとしばらくついていけなくてノスタルジーだよ。だけどそれを埋められるのは悲しいかな俺たちじゃあない。……傍には、いつも通りにいるつもりだけどな」
郷愁の瞳が揺れるのを見て口角を上げながら、僕はそっと自分の体を持ち上げ“レトロクロック”を撫でる。
「……誰よりもわかってる、って気持ち?」
彼が苦笑する。
「というより、……重ねてるところはあるかもな。そのうちやるべきことに気が付いてどうせまた忙しくすると思うよ。あいつは間違いなくな!」
笑顔をニッカリと浮かべて、それからすぐに口を尖らせる。子供みたいに。
「そりゃあな。思いっきり俺達を頼れーって、頭撫でくり回してやったっていいんだけどな? あいつだって微妙な年齢なもんで、更に今目覚めたてで複雑なもんで、あぁ、ありがとうございます。って半笑いでかわされるのわかりきってるだろ? お兄さん寂しいだろ? でもなぁ、しょうがないだろ、あいつが一番大事な奴に会うまではさ。……素直に笑えないの。しょうがないだろ」
逢えるの決まってるだけいいんじゃねぇの、と妬みはじめたもので、かわいらしいのでちょっかいをかけることにする。
「俺が、君の『一番大事な奴』になれたら、俺は必ず君にいつでも逢えるよ。寂しい想いなんてさせない」
聴いた彼が一瞬考えて、素っ頓狂な声を上げた末に、
「何、馬鹿なことを言ってやがるんだ?! 全くお前は相変わらずそんなことばかり!」
と、飛ばす説教がやや上擦って頬を赤らめていたので、僕は反省した素振りをしながら笑う。
まったく実に、本当に口説けそうだ。
指し示す日付は、A.P.241 3.27……。
…………ピュイがつい昨日はじめた言葉。――ねぇ、なんだか最近変じゃない――
不思議なことに、かの英雄もその二日前に同じことを真っ先に気に掛けていた。
では、俺が気付かなかったか? かの少年のちょっとした“ぼんやり”に。
もちろんいちいち気に掛けるはずがない。だってそうだろう?
目覚めの時は大なり小なりぼんやりすることだってあるものなんでしょう。
目下、口説き落として大切にしたい、今現在のターゲットの機微ならいざ知らず……そう、ターゲットでない。
落としたければ、ごくわずかな“心のサイン”も見落とすはずがない。何故って、そういうところで完全な理解者になってしまうのが、唯一かつ絶対で一番容易い相手を熱く捕らえて離さないコツだから。どういう心理から言動を取っているか全て読み通せてしまえば、そこからはどう料理するもこちらの自由だ。
かの少年は、ふとすれば最初から比較的俺の愛玩対象から少々外れていた。少年少女相手自体は昔からよく嗜んでいた。女性なんて勿論、何より好き。でも今一番身近な“噂好きの……”女性だって、今思えばやはり積極的に手を出そうという気にはなれない。
――ねぇ、なんだか最近変じゃない――
女性は根本的に勘が鋭い。身近なあらゆる人間の機微を読み取って、確実に生き抜いていく生物。
……だからって、少年の“ぼんやり”に大した意味があるとは思えないけれど……。
いや、あるいは彼女、案外核心を突いている。きっと気が付いてはいないけど。何より、気が付かれているだなんて俺が思ってない。気が付かれていたら、きっと気が付くだろうから。
「どう。ご機嫌よう。」
俺がひらひらと手を振って挨拶をした先に居るのは、困り顔ではにかむ例の少年。
こんにちは、と返すも、時計を見て、あぁ、そろそろ夕刻でしたでしょうか……じゃあこんばんは? この時間帯は難しいですよね、と、とても上手に話題を作る。
俺は好ましく微笑んで、保護者たちがひっそりと見守っていた心配ごとをあけっぴろげに話してしまう。
「ピュイくんが心配していたよ。君の調子がどうかって」
「え……、ピュイさんが心配ですか、どうして……」
「なんだか元気がないみたいじゃないか、ってね。ああそう、これはどこぞの勇者くんも言っていたよ」
「リンクさんまで……。うーん、そんなに元気がなさそうでしたか? ご心配をおかけしてしまって……」
唇に手を当て困ったそぶりをした後に、諦めたように笑いをこぼした。
「これは弱りましたね。あの、僕、そんなに疲れていたように見えましたか。とても困りました。言われてみればそうかもしれないって、今はっきりと気が付いたので。皆さんばればれなんですね……困ったなぁ」
くすくすと笑い始めた少年が、床に走るラインをぼんやりと目線でなぞり始め、あー……、と一呼吸いれて繕い始める。
「大丈夫ですよ。大したことはありません。僕は元気なので、もし機会があればお二人にはそうお伝えしておいてください。僕も僕で、あまり気を遣わせてしまうことのないよう態度を改めますので」
とても無関心な微笑みで本心を促す。
「……そう?」
かの少年は肩と一緒に視線を落とした。
「……そうですね。ごめんなさい、実のところ、驚いています。……んー、驚くっていうのかな……だって、あれだけみんなと一緒に戦って、日々全力で過ごしてきたのに、いつの間にか僕の知らない二年間があって、いろんなことが変わって、僕がいなくてもきっとよくて、なんだか僕だけが置いて行かれた気分で……いつの間にか……。」
少年が目を細め、視線が揺らぎ、裾を握り締めるのがわかる。
「 ……マトイとだって、ずっと沢山、一緒に、戦ってきたのに 」
ビンゴ。やっぱり。
あえて微笑んだまま何も言わず、少年がこぼすのを待つ。するとやはり続ける。
「だから、そうですね。僕のことを気にする人がいるとは思いませんでした」
「随分思い詰めたものだね」
苦笑すると、少年も嘲笑う。
「実感がないんですよ。皆僕のことを心配して喜んで迎え入れてくれるんですけど、僕自身は自分が危険な状態だったとは思ってなかったわけで」
むしろ体調がいいぐらいだ、と返されてスリープに同意しないだろう。
そう言ったのはシャオだった。その通りだっただろう。
俺からはまさしくダーカーになる一歩手前としか見えなかったけれど。
僅か二年でよくぞここまで人の持ち得るフォトンの状態にまで修復できたものだ、と少しばかり感心する。
「もしかして、僕は本当に僕なんでしょうか? まるで僕の知らない、別の歴史にでも飛んだんじゃないかって……」
あからさまな笑顔をつくる。
「馬鹿らしいですよね!」
寝惚けて夢見心地にでもいるのかもしれない、と目を伏せる少年に、そっと持論を囁くことにする。
「そうだね。今いる場所がいつのどこであれ、君と僕は今向かい合わせで立っているんだからね」
戸惑いに顔を上げる。構わず続けるが、その言葉は俺にしては随分と慈愛を含んだものになった。
「今、君は僕の目の前に立ち、ゲートや部屋に戻れば沢山の君の知り合いが君の知っている昔の話をしてくれる。そこに連続性があろうとなかろうと、今の君のしたいことは"彼女"の復活を待って一緒に語らうことじゃないかな?」
「……マトイ、戻ってくるんですか?」
何の心配もいらない。少年も恋をする時が来たのだ。それだけの話だ。
「さぁね? 駄目だったらその時一緒に泣いてあげるよ」
「泣くんですか、クロラさん……」
赤い頬で微かな笑みを見せた少年に、不思議にも自然と笑顔を返す。
「……きっとすぐに、彼女に話したいほど夢中になるような出来事が起きるよ。出来ることなら、とびきり格好いい武勇伝を話したいでしょう?」
目のふちを指先でなぞりはじめた彼氏が、頷きながら呟く。
「えーっ、まいったなぁ……。皆にばれているんですか……?」
あまりのかわいらしさに笑うと、笑いましたね、となじられる。
「どうだろうね? 気付いていたらただではおいてくれないであろう子がいるから、その子に茶化される日までは誰もがそっとしておいてくれるよ」
かわいらしく、少年らしい声で笑い始めた。
「なるほど、なるほど。わかりました。それはとても、安心しながらも気を付けます!」
考えてみれば、かの少年の集中治療中、俺が時折治療状況を確認しに行っていたのも理由が知れないわけだ。
しいて言ってみれば、これが、人間の言う愛情とは別の愛着心というものなのかもしれない。
そっと微笑みながら、一言だけ付け加えた。
「喉の調子も、気を付けるんだよ?」
あ、と喉元を押さえる目の前の少年。
「そういえば、最近少し、喋るのがつらいです……」
「大人の男になっていくんだよ。良い恋をしたらいいさ」
頬を染めながらも、視線は律儀に返して頷いた。
「はい」
少年の色気付きはじめた唇が緩やかなカーブを描いている。
そんな少年があっという間に事件を引っ提げて、新たな惑星で暴れ出すその僅か先日の出来事だった。