
―HISTORY
Episode3
リンクとkrc':ler
自室のベッドの横のテーブルに無造作に置かれた拳銃がある。
その黒く硬いデザインを沈んだ顔でリンクは白い色の指を這わせそっと撫で上げる。
横顔は窓の外の夕光に染まっている。影は長い。
不意に声がした。「誰の銃か知っていて、そんな風に大事に撫でるなんて……。やっぱり君も、俺の性欲に興味があるとみた」と見知った湿っけのある声が笑う。クロラ。
「そんな飛んだ発想をするのはお前だけだ」とリンク。拳銃を持ち上げ乱暴にベッドに倒れ込むと、リンクは銃口を自分の頭に向けていた。
クロラが言う。「安全装置が外れていないよ」と。
するとリンクが、ああそう、と呟き視界の中心に銃身を収めていじり始める。
「どうすればいいんだ」
クロラはひとつ笑みを浮かべてリンクのすぐ横に寝そべり、わざと這うように指先を重ねて指導する。こうするんだよ、と。ああ、そうなんだと享受する。
理解したリンクが音を立てながらロックを外しては戻し、手遊びのように復習していると、話題を思い付く。
「何故いちいちこんな面倒なことをする必要がある? 魔物が逃げるだろ」
リンクの剣にセーフティロックなどはないと、もうずっと外してしまえと、そういう意図の進言をする。
「ああ。キャンプシップで外しておくんだよ。ロビーで万が一暴発してしまったら困るだろう? 鞘と同じさ」
へぇ、とリンクが漏らす。
「お前がそんな真っ当な事を言うとは」
クロラが笑う。
「俺はヒトを傷付けるのは趣味じゃあないからね。綺麗な肌は、そのままできちんと快楽を受け取ってほしいだろう?」
リンクの胸の上で掌を滑らせながら、愉しそうに口角を上げている。
「なるほど。お前らしい言い分だった」
眉間に皺寄せ彼奴の手に銃口を引っ掛けてどかす。
「こんなことをきっちり訓練されている辺りナヨナヨしたお前ですらやはり立派な兵士ってわけか」
「訓練? ああ、そうだね。仕込まれたのさ。全てはマイクロチップ一枚でね。皆そうなのかと思ったら、俺は訓練課程を受けてないから」
そういえば、リンクが思い出す。奴は造られた存在だから、真っ当な研修はやっていないんだと。
単位数に怯えながら必死こいて勉学や試験に勤しんだ身としては、それが出来るなら是非俺達にもそうしてくれ、というのが率直な感想だった。
「いいじゃないか。全部の職業がそれで終わればいいのにな?」
「終わるじゃないか。最適な動きをクラスチップに保存して、任務内容に合わせて適切になるよう入れ替えているだろう?」
リンクが眉根をひそめる。
「完全には汎用化されてない。異なる人間のデータの保存、読み込みには個人差があれど負担が掛かる。拒絶反応で死者が出るぐらいだ」
何故、経験済みのクラスであろうとクラスカウンターで逐一クラスの変更を申告し手続きを取る必要があるのか。
そもそも、個々クラス特徴として設けられた特殊な強化全ては、フォトンによるものの他は脳に仕込んだ拡張メモリに保存された脳に対するバイオチップの作用で行われている。そういった脳の改造は人体に負担が掛かるため、同時に人の脳が処理できるクラススキルは巧みに負荷調整されてもせいぜい二種が限度。クラス毎の特殊強化の受領段階や各々の戦闘経験は自動的にチップに保存され、カウンターで申告することによって管理サーバーを通して遠隔でバックアップ、別のクラスに書き換えることで、複数の強化の影響を受けないようにされている。
書き換え自由である最新の拡張メモリの増設を行っていない、更に行えるような下地となる脳を持っていない所謂第二世代のアークスが、一つのクラス以上に適性を持てないと言われているのはそういった事情も含んでいる。
「お前、チップを受け入れるにあたって下地となる基礎知識すらインストールで済ませたってことだろ? ずるい話じゃないか」
「……へえ、人類はようやく自分の肉体を端末として扱うことに抵抗がなくなってきたんだね。いい傾向の発言だと思うよ」
なるほど、そう言えばそういうことになる。……そのように言われると確かに、最初は不気味さを感じたものだ。同期は特に薄気味悪がっていたっけな。たかだか調査集団が、何故そこまでする必要があるのかと。リンクとしては、どうせ戦闘があるのだろうし、より戦えるならそれに越したことはないという気持ちが他のアークス志望よりは強かった。使えるものは何でも使うのがリンクの人生のモットーだった。……だが、抵抗がなかったとは言わない。
「俺はまぁ、楽に目的が達成できればそれでいいからな」
目を細めて薄く笑むクロラ。お得意の表情だ。
「効率が良くて結構。そのまま早く俺達と同じ次元に来ればいいのに。ああ! でも俺は人間のそういう原始的なところも好きだから、そのままでよろしい」
「それはよくわからんが……」
機嫌の良いクロラが指先で端末と言ったばかりのリンクの胸元をなぞっているが、端末と言われど一抹の嫌悪感はあったので取り上げる。
「君はさっき、異なる人間のデータは読み込みに負荷がかかるって言ったでしょう。俺はね、時々気持ちのいい頭痛がするよ」
リンクを子供のようにじっと見つめる瞳。リンクは無言で続きを促す。
「クラス情報、君のデータも貰っているんだよ。馴染むのには少し時間がかかるけれどね」
「なんだって」
リンクは咄嗟に体を起こして思わず後ずさる。脅威心の表情をクロラは変わらない表情で眺めている。
クロラはリンクのクローン体。そうか、あるいは。
「……拒絶反応は」
「ないと思うよ。今日まで正常に動いているし、君がリンガーダを苦手としているのはよく感じていたからね。初めて対峙した時もよく参考にさせてもらったよ」
クロラは続ける。
「初めて君のチップが俺の脳にインストールされた時は、まるで君そのものが俺の中で息付きはじめたように感じたよ……。君の見ていた景色と俺の見ている景色が混じり合って、君の持つ危機感なんかも響いてきて、俺の中の君が、戦場にいる俺に訴えかけるのさ。『ここは避けろ』、『ここは叩け!』……ってね」
「……そういう形での、記憶の譲渡も可能だってわけか……」
恐怖による身震いを抑えて、慎重に言葉を繋げる。
「映像を再生するようなものさ! 人間の脳というのは君たちが思っているよりはいくらか優秀なハードでね。他人のレコードを再生するぐらい必要十分」
「記憶は脳にあると思うか」
リンクの突飛な質問に、クロラは戸惑いもせずにただひたすら面白がってリンクの額を人差し指で突く。
「さあね? 人間がそのちっぽけな頭蓋骨の中にあると観測するのならその通りなんじゃない? 人間様お得意の屁理屈でしょう」
しかめ面の筋肉の動きがクロラの指先にも伝達される。
「俺が聞いているのはそういうのらりくらりとした理屈じゃない。お前がどう思っているかだ」
思っているか、だって? とクロラは心の奥底で笑う。それは、こいつなら観測できるかもしれないと考えている人間の使う言い回しじゃない。
「おいおい! 君たちアークスにとって証拠は揃っているだろう。何をそんな低科学で呪術的な信仰者みたいなことを言っているんだい? 僅かばかりであれ、他人の記憶や他人の能力の移植は既に出来ているんだ。あとは人体の処理スペックと人類の精神性が上がるのを待つだけだ。わかるだろう? 処理して動かすためのハードウェアと、そこから観察し作られていく記録と、それを保存するバックアップの存在が」
「それはなんだ」
射るような質問。目を見開き口元を細く笑わせ人らしからぬ顔で語っていたクロラの動きが、止まる。
「全知存在《アカシックレコード》だよ。……」
紡ぎ出された言葉。リンクは真剣な眼差しを送る。
「……シオンじゃ、ないのか」
狂ったように引きつり笑いをこぼれさせる。
「あれは端末だよ! 天然ものであそこまで純度も高く、アカシックレコードの端末たりえるところまで育ったのは驚異的なことだけどね。俺みたいな存在でもそれの観測は血眼になって探したって難しいことなんだよ、なにせ今まさに泳いでいる広大な宇宙の全貌そのものなんだからね! 興味本位で探してる奴なんてフォトナー以外にも腐るほどいるだろう!」
「……お前がそうなのか。……探してるのか?」
息を吐き出して、高慢に目を細める。
「いいや? 俺は興味がない。探していたのは友人だったやつさ」
追及を続ける。
「お前に友人が?」
クッ、と気の狂った顔で嘲笑う。
「例えば人間様が全部同じ銀河で育ってそれ以外にないだなんて思ううちは意外なのかもしれないが、俺と似たような組成を持って形成された存在なんてこの宇宙ではさほど珍しくない」
「お前はどこぞの惑星の出身か? 多いのか?」
「いいや。俺はヒトのような生殖で産まれてなければそもそも細胞分裂から発生してない。そんな一握りの手段で産まれた生物しか意識を獲得できないと考えるのはヒトの観測限界からくる空想だ。そして自分たちと同じようなもの以外を意識と認めなかったりあるいは同じ意識だと同類にくくるのもまた空想だ。万物にはただ"記録"がある。惑星にも、宇宙そのものにも、そして俺の本体にも」
拳を握って"惑星"を示す。
「シオンはその自身が持つ膨大な"記録"が空想を始め、そしてその莫大な記録からなる根拠ある空想の連続によって"知性"となるに至ったんだよ。俺もきっとそういうものの一つだ。そういう存在が珍しいか、珍しくないか? 広義に言えば何一つとして珍しくなんかない。人間様の定義が、五体があって五本指であるように俺の存在そのものをいい加減に定義付けしたとするならば、俺が見たことあるのはさほど多くないけどね。あるいは、俺が食ったからだが」
「……惑星が隕石を呼びよせて衝突し続け一つの星になったり分断したりするように、お前もそういう過程を辿ったと言うのか」
「そうさ。似たようなものだね。で、俺はそんな"本体"が持ち得ていない記録は知りっこない。持っているものは知っているが、持っていないものは持っていないんだから知るはずない。……それで、君はどうなの?」
ずい、と迫り、シーツの皺の形が変わる。リンクの胸に人差し指を突きさし、クロラはまじまじと瞳を覗き込んで迫る動作をやめない。
「……どう、ってなんだ」
リンクは二の腕に力を込めて踏み止まる。このままどこまでも踏み込んでこられても困る。力強く喰い込んでくる胸元が痛い。
「すっとぼけるなよ! 君はその肉体に刻まれてもいない記録を持っているんだろう? 読み込んだんだろう! 前世の記憶とやらを!」
抵抗するあまり肺を押されているようで息苦しい。目の前の男の細い指の一体どこにこれほどの力があるのだろう。
「故意に読むとか読まないとかじゃ……ない。覚えてるんだ。昨日の出来事を思い出すみたいに自然と出てきて……」
「それだよ! 君はしがない惑星の神話の国で、女神に見初められて死後転生を果たし、その後も呪いにかけられ分散して宇宙に還り再構築することもできずずっとその一つの魂で生き死にを繰り返し、延々と同じ運命のもと記録の書き込みを続けたね! 君の生死や行いで歴史が分化しようともだ、君の呪いは一切晴れることもなく、緩むこともなく。君の土地で神と崇められる存在に目を付けられてから、強大な力を持った魔王に呪いをかけられてから、魂を完全に擦り切らせることもなくこの時代の果ての宇宙船までよくぞ生き抜き続けてきた。その君の持つ数奇なカルマこそが、今ここに来て君自身の魂っていう今までの"記録"の数々を君の体が急激に読み始めさせたんだよ。解るだろう」
人ならざる眼球が、憎悪も愛情も篭った深い混沌の闇のような音を紡ぎ始めた。
「"君もまた全知存在《アカシックレコード》の端末たり得る存在なんだよ"」
……深淵が反響する。リンクの頭蓋骨に? 反復される音声に手放し掛けた正気を取り戻し、首を振る。
無意識に突き放す。クロラの見開いた笑い顔がリンクの胸元から少しずつ指を離している。リンクは息を吐きながら苦しんだ顔でそれを見上げる。
「……俺は、そんな期待されているような、人間じゃない……」
「誰に? 神に?」
「やめろ!!」
笑い顔。喉から声を絞り出して叫ぶ。必死そのものから出る声にリンク自身が打ち震える。恐怖に支配されつつあることに気が付いてその不可解さに手が震え、考えることを止めたがる。
「役割だよ。君は自然の摂理の下に数奇な運命を辿ってひたすら書き込み続けたんだ」
「俺は、神に言われる通りに世界の安定を保とうとしたわけじゃない……俺自身がそうしたかったから、常に……」
「そういう使命感こそ"役割"を遂行するための道具じゃなくて?」
「うるさい、やめろ……お前の話を聞いていると俺が俺じゃない何か別の存在みたく錯覚しそうだ……気が狂いそうだ……」
立ち上がって、ふらふらと部屋の外に向かって歩きだそうとする。視点は定まらない。
昨日までの友人と笑いあっていた自分。料理を作って気に入らない味付けに修正案を考えていた自分。目的意識を持って仲間と協力し仕事を片付けてきた自分。過去の記憶に引っ張られそうな時、懐かしい趣味にうち込んで退屈を紛らわせていた自分。……
「俺は気に入っているよ、君のその歪な歩みと精神がアカシックレコードへのアクセス権限を得たんだからね」
いつの間にかベッドから降り、ひたひたと歩んで追いかけてきているクロラ。
「黙れって、言ってるだろ……友達を、友達を探さなきゃ……気のおけない友人が……俺のことを知っている奴が……誰か……」
「よくないなあ。他人を精神の支えにするところは本当にいつも君のよくないところだ。低次元の人間の馴れ合いに頼ってなんとするの?」
「黙れって言ってるのがわからないか!!」
金属音を派手に立てて刃を振り翳す。完全に追い詰められた顔にクロラが肩を竦め、いつものように目を細める。
「貴様になにがわかる!? 記憶を得てどうなるっていうんだ!? 毎日毎日自分が死に、仲間が老衰し、故郷が病み、そんな夢に魘され続けてそれがどうしたって言うんだ!? 楽しい記憶もあるからなんだ? 知った顔も土地ももう今更ないというのに、振り翳すべき宿敵もいないというのに、護るべきだった女性もいないというのに、何故俺だけが残らなければならない!? もう全て終わったんだろう!? 俺の使命は終わったんだろう、古い過去の話など知るか、俺はいい加減解放されてしかるべきだ!!」
喉がカラカラと痛むまで叫び、はあはあと酸素を要求する。息が上がって肩が揺れる。当然視界も剣先も振れる。
異常な緊張が緩んできて、筋肉が弛緩する。
「まあ、落ち着きなよ。別に前世の記憶を持っているっていう人間は珍しくないよ? もっとも、君ほど膨大で、鮮明な記憶となるとどの宇宙にも少ないけれど」
「勘弁してくれ……俺はもうそんなものはいらない、ただ、普通に、穏やかに、ずっと平和に暮らしていたいだけなんだよ……」
刃を取り落とし、ガランガランと音を立て、リンクはというと机の脚にしがみついてたくさんの汗を掻いて滲ませている。呼吸音が響き、髪を伝って汗が床に落ち木の板に染み込む。
勇者たるもの、安寧を脅かすものに真っ先に食って掛かって生きてきたのだろう。そうしてきたからこそ勇者と呼ばれてきたのだろう。
勇者は今も安寧を求めて彷徨っていた。
「平和があればそれでいい……小さな農園で熟れたりんごをかじり、ちょっとした冒険を夢見ながら友と過ごしていければ、それでいい……」
打ちひしがれうずくまってしまった勇者に、すぐ後ろでクロラがしゃがみこんで、ささやく。
「君が聞きたがったんだよ。『記憶は脳にあるか』って、『バックアップとはなんだ』って。君が聞いたんじゃないか。……君は、これが聞きたかったんだろう?君の『愛した世界は、確かに存在したのか』って。……安心しなよ、空想じゃない。病気でもない。君の愛した世界は確かにあって、君が最初から最後まで全てを見届けた通り、栄華を極めて、そして滅んでいった」
リンクが目を瞑って必死に首を横に振る。
「空想の方がよかった」
瞼を開いて、潤む青い目から涙がこぼれ落ちる。クロラが優しく微笑み、そっと銃を差し出す。リンクの視線が泳ぎながらそれに辿りつく。
「安全装置、外れたけど?」
リンクは首を振って静かに立ち上がり、二の腕で涙を拭う。
「……片付けておいてくれ。今の気分じゃ、本当にこめかみを打ち抜きそうだ……」
弱々しいその言葉を聞いて、クロラが目も口も細いラインで弧を描かせる。
「そりゃあいい。君にそんなことで死んでもらっちゃ、本当に勿体ないからね!」
嗚咽のような溜め息を吐いた後、脱力した姿でかすかに呟く。
「……お前は、その全知存在《アカシックレコード》とやらに、なんとしても関わりたいのか……」
何とも懲りない勇者だ、これだけいじめられておいてまだそうまで真理を問わずにいられないのかと、見上げたひたむきさに流石のクロラも涙が出る。
いつもの薄ら笑いと共に本音を応えてやるとする。
「興味がまったくないかと言えば嘘になるけれど、少なくとも嫌がる君を強引に使い潰してまで得る気は今のところはないね」
意地の悪い物言いを全く隠しもしないで言ってのけたこの発言を、リンクはしかし一蹴もせず軽口も言わず、「そうか」とだけ静かに呟いた。
クロラは最後の慈悲を持って、心の中でたった一言のみささやく。……「お人好しめ!」……と。