
―HISTORY
Episode3
メアリー・ルールーと月の猫
「……『サポートパートナーの申請手続き』……。かぁ…………」
ひとり、アークスロビーの片隅でため息をついている少女がいた。
名前は『メアリー・ルールー』。金髪をゆるめにふたつ結びにしてお花のカチューシャをつけた彼女が、内股の膝を擦り合わせてもじもじ困っていた。すっかり両端が下がっている眉の下のグリーンの瞳が見つめているのは、ホログラムの端末に浮かぶデータ書類。
「わたしなんかのサポートをしてくれるひとのイメージなんて、思い浮かばないよ……。うぅ、でも、手続きはやらなきゃ……」
必要な講習は既に受けた。あとは思い浮かぶ理想のパートナーの姿を担当員に伝え、管理官に設定の終了を報告するだけだ。
……しかし。
彼女、もう二日もこうして唸りながらウロウロとひとりで歩き回っている。
と、ぴたりと立ち止まった。
「なんとかして頼りになりそうな人の顔を思い浮かべなきゃ!」
小さな拳を握り、キッと虚空を見つめてみるものの。
思い浮かんだのは、白髪、深紫の瞳、優しそうな顔で、微笑みかけてくれる……、
(ユ、ユヅキくんじゃない~~~っ!! ユヅキくんそっくりのパートナーだなんて恥ずかしすぎてユヅキくんに報告できないよ~~っ!!)
真っ赤にした顔を押さえてしゃがみこんでしまった。
(ああっ! やっぱりユヅキくんの言うとおり、違うオーダーから進めながら考えた方が……! でもでも、何も決まってないのにコフィーさんに話しかけるの、なんだかだめなひとだと思われちゃいそうだし……!)
耳まで赤いのに気付かず頬っぺたを押さえうずくまっている。
ひとしきり唸った後、なんとかしてふらふら立ち上がる。
(……コフィーさんに、新しいオーダーもらいにいこう……。考えるのは、今日の夜にしよう……)
今日もまた布団の中で考えることにして、管理官に仕事を貰いに行く。
「……。あの……」
「あら。パートナーが決まったんですか?」
「ぅ…………。ぁ、あの…………。ぇぇと………………」
「……ふふ。いいんですよ。あなたにとっての大切なパートナーになるのですから、ゆっくり考えてください」
「…………は、はぃ…………ご…………ごめんなさい……ごめんなさい……」
「それで、ご用件はなんですか?」
「ぁ……。ぇ、ぇと……ぁの……じ……じ……、『自由探索許可申請・砂漠』……の……」
「……はい。砂漠の探索許可申請ですね。それでは森林や火山と同様に、所定の任務をクリアしてきてください」
「ぁっ……は、はぃ………………」
「あなたにとって新しい惑星の調査任務です。アークスはたくさんいれど、その身はひとつ。油断せずにお願いしますね」
「…………っ! は、はい……!」
いつも通りの涼しい顔と声色ながら、ややトーンを落とした管理官のこの忠言には並々ならぬ重みがある。
一瞬脳裏に浮かぶ死の瞬間に怯えながら、そろそろと手配したキャンプシップへのアクセス口へ向かう。
足取りは重い。
できることなら、やっぱりなかったことにしてもう帰りたい。
……怖い。
(どうして……、私はアークスなんかになったんだろ…………?)
メディカルセンターを出た時の、ユヅキの言葉が脳裏をよぎる。
『破損してるけど、アークスカードのデータ片があったから……。君も、アークスなんだよね?』
じっと見つめてくる深紫の瞳。自分とそんなに歳も変わらないのに、なんだかとても大人っぽい瞳。
(わからない。覚えてないの……なにも……ごめんなさい……ごめんなさい……)
……情けない。
なにもわからない。
ただただ、怖い……。
(……やっぱり、前みたいにまた、ユヅキくんについていけばよかったのかな……)
出立前から暗く落ち込んだ顔をしながら、ひとり、キャンプシップに乗り込んだ。
◆
「も、もうつかれた……やだ……こわい……かえる……」
『機甲種性能調査:砂漠』の任務を終え、帰還許可が下りた瞬間にテレパイプへと一目散に逃げ込み、今、彼女はキャンプシップにへなへなとへたりこんでいた。
「も、もうやだぁ……。調査なんて言って、ほんとに戦いばっかり……。どーしてみんないつもいつも襲ってくるの……仲良くしようよぉ……どうして……どうしてみんなこんな怖いことふつうにできるっていうの~~~…………」
キャンプシップのひんやりした床に手をついて、すっかり頭とふたつおさげを垂れている。
他に誰もいないキャンプシップ搭乗室でそんな泣き言を言ったところで、特にどうなるということもない。
「もう無理……せっかくここまで運んでくれたパイロットさんにはすごく申し訳ないけど、もう帰ろう……」
そう呟いてふらふらと連絡端末に手をかけ、操縦室に連絡を入れる。すると、とても凛とした女性の声が応じた。
『こちら操縦室。次の区画はどこをご希望で?』
「あ……、その、体調が悪くなっちゃったので、もう帰ろうかと思うんですが……、」
『体調が悪いだァ~!?』
突如耳をつんざく怒鳴り声が響いたため、ひっ、と耳を押さえ縮こまる。
『なぁ~にがもう帰りたいだ! ちんたら仕事しやがってその間ず~っと待ちぼうけなんだぞ!? それでもう帰りたいってあたしゃ全然飛べてねーじゃんか! あたしゃ暇な時間ず~っとぼけ~っと座ってられるほどだらだらした性格してないんだよ! こんな簡単なエリアの仕事で20分もかけるようじゃ次は置いてくよ!? 本来この時間で運んで稼げてたはずの本数支払ってもらったっていいぐらいなんだからな! わかったらもうちょい仕事してさっさと高額エリアでも指定できるようになってくんな!』
「ご、ごめんなさぃ…………! ごめんなさぃ……!」
パイロットからの思いもよらないマシンガン式説教に、蚊の鳴くような声で謝罪し続ける。
『ほらほら、次は指定コード『スーパーハード』ぐらい受けられるだろ!? その危険区域運搬ボーナス分でチャラにしてやっからさっさと受注送ってこいよオラッ!』
「ぁ……ぁ……、ぅ、受けられないんです……ごめんなさい……ごめんなさい……」
勝手に涙が溢れてくる。
『あぁん……? お前、新人かぁ~……? チッ、だったらなおさら、次は物資運搬なんだから惑星移動せず区画移動だけで済んだじゃねえかよ……まぁもういいや……体調悪いんだっけぇ? 次はちゃんと体調管理ぐらいしてから出撃しろよな~』
喉が詰まってもはや何も言えない。ただ鼻をすする音だけが端末の音声認識に拾われる。
『……おい、わかったか? 返事は!』
「………………はい……」
『よし』
通信が一方的に切られ、キャンプシップの窓の外が高度上昇と同時に少しずつ元来た方へと向きを変えていく。
恐ろしい砂ぼこりの舞う世界から静かで見慣れた星々の世界へと景色が移り変わっていくのを、少女はただ疲れきった顔で、眺めていた。
◆
ゆらゆらと部屋に帰りついた少女は、ベッドに倒れ込む。
今はまだ、同じ女性アークスの部屋の片隅を貸し付けてもらっているだけの仮初の自室だが、それでも自分が眠れるベッドというのはいくらか気持ちが和らぐ。
「……今日は、散々だったなぁ……」
はあ、と重いため息を吐く。
本当ならユヅキという少年に一言二言ぐらい今日の成果を報告した方がいいような気がしたものの、とても彼にこんな顔を見せられたもんじゃない、と思った。……それに、これは初めて出会った時にも思ったことだけど、なんだかとても忙しそうだった。
(ユヅキくんは、いつもこんな大変なことしてるのかな)
呆然と壁の一点を見つめる。
(……わたし、無理なんじゃないかな)
――もう眠ろう。
そう思って寝返りを打ち、何故か開いていたベランダへの扉を閉めておこうと目をやりのそりと起き上がると――
そこには、白い猫がいた。
「……見つけた!」
「……、えっ?」
それも、喋る猫だった。