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―HISTORY

Episode3
残り香 

 

 

 

 

 

 

  さっさと今日の雑用を片付けてしまおう。

 そう思ってクロラがいつも通りクラフト端末の前に立ち、クラフト関連機器を一緒に起動させる。

 すると急にふっと、どこからか自分の後ろ頭を見つめる視点のようなものが降ってくる。

 それが迫ると自らの体内に視覚が落ちていくような錯覚を覚えた。

 その瞬間、体の中心から指先まで大いなる力で満たされていくのを確かに認識する。五感、いやそれ以上の感覚まで目覚ましく、頭は冴え渡り感覚は研ぎ澄まされていくのを感じる。脳髄の奥深くから記憶と感覚が広がり、己がどんな存在であったかはっきりと応えられる境地に至る。

 そうして顔を上げた瞳には、今までと同じような確かな情念と力強さが宿っていた。

 髪をかきあげる。

 「さて、……」

 ――こいつは何をしようとしていたんだっけな。

 肉体の持つ記憶を揺り起こそうと、ちらりと周辺に目をやった。

 すると当然目の前のクラフト端末とその周辺機器の起動音が目と耳に入ることになり、胸に妙な違和感を得た。

 隣室のドアが開く音と共に懐かしい人間の顔がひょっこりと現れる。

「クロラー、終わったか?」

「えっ……、な、なにが?」

 そういったあまりに間抜けな言葉が突いて出て、相対する男は同じく平和な声を発した。

 この金髪でブルーアイの男は確か、ああ、リンクという男だ。

「え、デイリークラフト」

「あ、ああ……。今やるよ」

 頷いて引っ込んでいった男の様子を見送って、クロラは思わず視線を泳がせる。

 こんな男の指示を受けて働いていたのかと、浮かんでいる液晶画面の文字を目で追う。

 己の目的となんら関係のないこんな雑務をうすらぼんやりとした意識でこなしていた自分の分身が信じられないという顔で、指先を馴染み深く画面の表示に従って滑らせていく。

 それも先程の男の顔を見て感じたこの胸にじくじくと広がる妙な感触は一体なんだろう、と非常に困惑して不審がる。そう、困惑していた。そういう他ないほどにクロラは今、恐らく困惑をしていた。なるほどこれが真に困惑というものかとほとほと困っていると、とにかく記憶を起こす他ないと思い至る。

 逐一この肉体の情報や記憶を受け取るということも勿論できたのだが、それは拒否していた。意識を残しておくことも指示を送ることも状況観察することもなく、一定の興味を失ったので放っておいていた。つまりその間この肉体を動かしていた意思はこの肉体に付属していたものであり、行動はその意思によるもののはずだが、さて問題はそいつが何を考えてどうしていたかということである。

 胸元に指先を這わせ、正体を探る。

 もうこいつは従順な肉の塊であり、下僕であると考えていたものが、わけのわからない感情めいたものを引っ提げているとなると、中々に遊びづらいというのが率直なクロラの感想であった。

 ――確か、そう。何でこんな面白そうな場所で手放したかって言えば、研究室の連中が再結成して、この体をいじくり回すと決めたらしかったから……

 確実に思い出した。その一連の仕業こそ先の金髪だ。なれば理不尽さに対する憤りめいたものとか、そういう訴えをかましてくるならまだしも、その感情は既に済んだものであるらしくとにかくそういうことではないらしい。

 奴らに一体何をされたのか? ……いいや、思い出してもそれは大したことではない。クロラはそういつもの通りに結論づけて、端末に指を滑らせる。

 それでもどうにも引っ掛かるような、奇妙なモヤモヤとした感覚に引っ張られていた。

 今まで一切感じたことのないような謎の情念に、しばらくの間思考を阻害されることになる。

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