
―HISTORY
Episode2 A.P.238/8/8
後日談
一騒動あった、あの後の話。
あれから一週間が経つ。時間の流れは早いもので、誰しも一連のことが昨日のことに思えている。
特にリンクなんかはそうだった。一方、当事者のマルスはシャオに事情聴取をされ大変に苦労したようだ。無理もない。
だけど、あれだけのことが簡単に済むはずもないところを、この短い期間で済んで、大団円に向かって明るく突き進もうというのだからとても驚いた。いや、こればかりはそう思ったのはリンクだけではないと思うが、掛け合ったという少年はまるで書類仕事が済んだかのように、とても涼しい顔をしている。シャオが、いや、シオンが、いや、あの総長すらも一目置くだけ、なるほどあったのかもしれない。
結論から言うと、マルスは、我々アークスと同じ存在としてアークスシップに改めて迎えいられることになった。もちろん完全な歓迎ムードとは言えず、色々と制約が課せられた。まず、当然のことだが、ダーカーとしての目的であったアークスに対する諜報活動を行わないこと。
しかし、ダーカー側の大規模な襲来が予測される際には、きっちりとその情報をアークス側に流すこと。
これはつまり明確なダーカー陣営に対する裏切り行為ではあるが、このオラクルに安全な身として迎え入れられるためには致し方ない。マルスにとっては相当の苦渋の決断だったことだろう。今では不意打ちも減り、【若人】の眷属襲来に対する採掘基地の防衛作戦は半分ぐらいマルスの予測報告によって成功しているといっても過言ではない。
次に、専用の定期検診を必ず受けること。それから、数週間に渡って身体データの調査を受けること。これらを拒否した場合命はなかっただろう。
そしてシャオの口から告げられた最後の条件は、少々意外なものだった。
『"君たちが共に暮らすこと。……もちろん、目的は監視と拘束。 同じアークスIDを共有してもらうことで、もしマルスが独断で不穏な動きをしたとしても、誰か一人ぐらいはすぐにわかるでしょ? そうそう、これは、もうそっちの一家の主と一緒に決めたことだから! それに、君たちに直接迷惑がかかると思えば、マルス、君だって変な動きはできないだろう? ……そういうことで。頼んだよ"』
すっかり有名人となった少年とリンクの名を示したシャオの声色といったら、悪戯たっぷりに弾んでいた。
かくいうわけで、少しずつ出来る範囲での荷物の受け渡しと書面上の用意は済んだ。
リンクは少年とシャオの取り決めに従い、すっかりコピーされた新たな"自分の部屋"にマルスを招き入れる準備が整った。
「……とは言っても、そりゃ手続き上のことだけで悪いな! とりあえずは、部屋は自分の部屋だと思って好きに使ってくれていいから。落ち着かないだろうし、早いとこお前の部屋も用意してやんないといけないな」
リンクは気の晴れた声でマルスを明るく労う。出会う以前よりずっと苦労をしてきた中、最後に重大な決断をしたであろうマルスには、しばらく心底優しくしてやるつもりでいる。
所在なさげに、そっと部屋の隅に荷物を降ろしたマルスは苦笑する。
「……なんだろう、今まで何度も遊びに来たのに……変な感じ」
「まぁそうだろう! こっちだって正直妙だが、当面の間お前が安心して休めればそれでいい。落ち着かないって? だよな。せめてベッドを……」
どこに置こうか、と辺りを見回し始めたリンクに、マルスがぽつんと一言で制する。
「……いや、僕はこのベッドでいいよ?」
マルスが部屋の中央に据えられたベッドに腰かける。
「え? ああ、いや、おお? 俺に床で寝ろと? いや、まぁそうだな別にそれでもいいんだが」
俺はどこでも寝れるし、と思考をまとめ始めるリンクにマルスはええ、と非難の声をあげる。
「床で寝るのはよくないよ。体を痛めるでしょ?」
聞いて、疑問の声をあげるリンク。
「じゃソファで」
「それもよくない」
眉尻を下げ、不摂生をいたむように見つめるマルス。そんな顔を見て、リンクもほとほと困った顔をする。
「でも、お前ベッドで寝たいんだろう?」
「うん。これはリンクのベッドでしょう? だから、それでいいよ」
「……?」
どうも話が擦れ違っていることに気付き、ああ、と明るいトーンでリンクが笑う。
「なんだ、一緒に寝るか? そうしたいのか?」
そうすると、えらく温和な声で返ってきた。
「うん」
マルスは照れている。
リンクはあっけにとられ、口を開けたまま沈黙する。
いやいや。
「あー……。待てよ。お前はしばらくの間ここに寝るわけだ。数日かしらんが……俺もそこに寝るわけだ」
「うん」
「お前、落ち着いて過ごせる?」
きょとんとした顔で首をかしげる。
「僕は別に……」
「……えーと、俺、もしかするといびきうるさいぞ?」
「そうしたら、鼻をつまむよ」
「あ、そう。そりゃあいいな」
マルス、しわを伸ばすようにシーツを撫でる。
「ダブルベッドでしょう? 贅沢遣いをお邪魔して悪いなとは思うんだけど……」
「いやいや。そうだな。じゃあ、まぁ、お前がそういうんだったらいいだろ。えーと、でも、しばらくしたら部屋を……」
マルスが悲しそうに見上げる。
見捨てられそうになっている子猫さながらに不満を口にする。
「君、僕と一緒に寝るのはいやなの……?」
「えっ……」
正直、雑魚寝程度なら気にしない。
ただ、それでマルスが寛げるのかと思うとおせっかいは働く。
何より今からまさにマルスが休めるよう部屋を片付けてやろうと意気込んでいた真っ最中なだけあって、このままでも構わないと言われるのはマルスの気遣いであっても少々残念だ。当然、他にも思うところはあるが……、まぁ、うん。それだけである。
「いや?」
「ふぅん」
わざとらしく唇をとがらせて、それから少年のように笑う。
マルスの笑みにほっとしたリンクが、椅子に置いておいたクッションを投げてよこす。
心地よい音と共に受け取ったものを、マルスは喜びながら撫でる。
「何が飲みたい、淹れてくるよ」
背を向けて気の合う友人と遊べる幸せを噛みしめてキッチンに向かうと、マルスがにこにことついてきた。
「なんだ」
「紅茶がいい。ハーブティの」
「ローズヒップだろ? かわいいもん飲むよな!」
茶化しながら笑顔で取りだす。それを指差し、マルスは驚きと笑顔がこぼれる。
「覚えててくれたの?」
「まぁーな」
愛する友人のためだ、用意したんだからブレンドに失敗しようが文句を言うなよ、とティポットにお湯を注ぐ。
まぁ座れよ、ソファを指差して促す。
愛する友人かぁ、と復唱しながらマルスがおずおずと座る。
「繰り返すなよ」
照れながらも表情を盗み見て、蓋をして蒸らす。
大人しい顔こそしているが、案外マルスも相当不安だったのかもしれない。
しばらくは美味しい紅茶も、茶菓子も用意してめいっぱいもてなして大事にしてやろう。
きっと淹れ方にはけちをつけられるだろうから、そうしたら文句を言いながら教わろう。
少しの間ぐらい、一緒に寝て寝かしつけてやってもいいだろう。……起こしてしまうかもしれないが。
このまま穏やかな日々が続くよう、と願いながら注いだ水面に花びらを浮かべる。
一輪挿しも換えたばかりのテーブルにティカップを並べたところで、向かいに座り、談笑を予感しながらリンクは上機嫌でハーブティを啜る。
ひと口つけてマルスが頷いた後、感想より先に口にする。
「……ところで、あの時言ったことだけど……返事は……」
「ん。まぁ、なんだ。考えてやってもいい」
目を丸くして、頬を紅潮させるマルス。
「もし駄目だったら拗ねて思いっきりけなしてやろうかと思ったけど、この紅茶とても美味しいよ! リンク!」
ついにリンクが堪えかねて、むせ返ったまま大笑いを溢れさせた。