top of page

―HISTORY

Episode0
神々の国から 2 

  退学手続きを済ませて、入学試験を受け、無事、入校が決まった。
 身体面、学力面、フォトン適性。滞りはなかった。
 ほとんどの判断基準はフォトン適性の有無にあるらしく、成績、内申は大した問題ではないらしい。

 背筋運動をしながら教科書を読み直したのはなんだったのか。

 いや、読み直さなければあんまりにも酷いことになったのかもしれないし、そもそも受かったのだから、この際はもう万事良しとしよう。
 それほどフォトン適性を持つ人というのは少ないのですか、と聞くと、少ないわけではないけど、それ以上に、人が死ぬんだ。と教官が教えてくれた。
 それは、なるほど。願ってもない。
 我が身を置くのに最適な環境と言えるだろう。
 しばらくお世話になっていた、父方の叔父さんには、よくお礼を言ってから出た。

 今日からは、寮に移る。
 割り当てられた部屋と、各種施設を、教官に案内される。寮の規則も教わる。

 6時起床、9時消灯。睡眠時間が妙に長いな。消灯後に読む本でも探しておこう。
 諸先輩方はどうしているやら。
 その日はそのまま後期入校生の入校式典があるので、父と叔父さんに仕立てて貰っていた式典用の制服に、袖を通すことになる。
 本当によくして貰っている。
 新しい人生の一日。
 感慨深さに涙が出そうなのを堪えて服を広げると、紙のメールが挟まれていた。

 開いてみれば、母から息子への門出を送るものだった。

 読むのもそこそこにして上を向いて深呼吸をしていたら、せっかくの服に多少のしわをつくってしまった。

 親指で必死に伸ばしたら、直ちに戻った。伸縮性に富んでいて結構。良い生地だな。
 不審がられる前にせこせこと出たら、女性教官が黙って装飾品の位置を直してくれた。

 ああ。すみません。本当にすみません。いい匂いがしますね。どうもありがとう。

 体育館で式典を済ませた後に、同期となる後期生や、寮の先輩方に絡まれる。
 気さくで親しみやすそうな、良い人達のようで良かった。
 彼らに案内されて食堂で食事をとっていると、面白い話が聞けた。
 うち一人である、赤毛で鼻先も赤い長耳の先輩、年齢は同じだが、は、女子寮を覗こうと女装して付近を歩き、窓の向かいの木に登ろうとしたところ、校内放送の出だしのチャイムを怒鳴り声と勘違いして驚いて滑って転び、かつらが枝に引っ掛かって周りに騒がれ、捕まって大目玉を食らったことがあるらしい。まだ諦めてはいない、更なる策を検討中、とのことだ。女装変態魔神ちゃんとのあだ名がついて、絶賛大人気であるらしい。
 全く、つくづく間抜けで気のいい連中だ。
 しかし、その勇気と実行力たるや、評価に値する。今度は俺も連れていけ、と熱い握手とともに同盟を交わした。連中には大いにウケた。待っていろ。寮一番の変態は俺だ。
 それにしても、軍事訓練を受け、危険を冒してまで辺境を調査する、アークス組織への入隊を志すような集まりなだけはあってか、少々変な連中が多い気がする。
 そこで改めて思い返したのだが、初等部、中等部にも、こんなような奴らは随分いたようにも思う。
 俺自身が、あまりに自分のことで手一杯だったばっかりに、周りのことなど何も見ていられなかったんだろう。
 どうやら、目指す冒険への軌道に乗れて、余裕が出来てきたらしい。
 本当に、こちらへ来て良かった。





 ◆





 訓練は順調だ。座学は正直半分ぐらい寝ているが、消灯後の娯楽小説の方が面白いのが悪い。
 数学が一番苦手で、それが苦手じゃ物理も式が立てられん。同期に後でノートを押し付けられる。そうして得意気に教えられるのを聞き流しながら改めて公式を見ていると、なるほど、遠い昔に読み漁った魔術書に出てきた式と構造が似ている。数というものは、世界が異なっていても通じる、共通の言語なのかもしれない。
 よくわからん、と返してやったら、そんなんだから駄目なんだぞ、と得意がられる。
 次の小テストでたまたま高得点を取ると、俺のためにノートを書き込んだというそいつがやってきて、妙ちくりんな顔をして俺を見る。
 『お前は優等生なのかドベなのか、どっちなんだよ』?
 知るか。どっちもだろ。


 


 ◆





  日中、露骨に寝たり、ぼーっとしているので、教官に怒られはじめた。
 実技がいくら良くても、それでは評価がつけにくい。とのことだ。
 熱心な話だ。どうせ戦いなんて経験がものを言うのだから、体だけ鍛えておけばあとはどうとでもなる。穴埋めクイズに答えれば敵が霧散するわけではない。
 しかし、それで在学期間が延びては勿体ない。両親や叔父にも、迷惑をかけてここにいるのだ。人の忠告は聞いておくもの。同期の昼の遊びの誘いを時々は断っておこう。そして寝よう。
 そんなことを考えているだけで、眠くなってきた。どうも必要とする睡眠導入時間が延びてきた気がする。夜更かししなくたって、9時間ではとても足りない。あと6時間は欲しい。どうやら環境に慣れてきて、気が緩んでいるらしい。おかげさまで自室で寝ようと横になるとき、気分が悪くてとても眠れたもんじゃない。また悪い夢にうなされるかと思うとうんざりする。眠れないんじゃないかという不安で眠れない。睡眠導入剤は便利だったな。また貰ってきてもいいんだが。
 こういう時に、良い解決法に気が付いた。他人のベッドで寝る。これが一番。
 最初は遠慮して、よくなつかれている奴のベッドを無断拝借していたが、最近は思うことがある。寝具は寝具。誰のものでもない!
 そういうわけで、寝たいと思った瞬間に周辺の部屋に入って布団に入り込み、そのまま休み明けまで寝入る。起こされると見知らぬ後輩が困惑していて、同期や先輩が呆れて笑いながら俺を回収しにきている。うん。悪くない。
 主と思われる後輩の頭を寝惚けながら撫で回し、先輩に引っ張られる。俺を起こすのには相当苦労するらしい。中々起きないから。記憶にすらない。よく眠れている良い証拠だ。
 へー。我ながら間の抜けきった返しをすると、頭をグリグリと揉まれる。それは流石に目も覚める。
 後日、メールが届いていた。寮内の人気のない場所で何かを告白したいそうだ。ここは確か、男子寮なのだが。





 ◆





  単に人生相談かもしれないし、あわよくば女子かもしれないし、かわいい女子かもしれないので、寝癖を丁寧に直してから向かってみたのだが、普通に男の告白だった。やはりオラクルは凄いところだ。何かが進んでいる。
 背が小さくて素直で謙虚で可愛いと評判の後輩だったから、付き合っちゃっても良かったのだが、後で振り方を考えるのが面倒になると思ったので、断っておいた。
 どうせならやっぱりかわいい女の子がいいよな、と呟いたら、イケイケの先輩が是非とも合コンに連れていきたいと乗ってきた。兼ねてから誘いたいと思っていたものの、女に興味がない優等生様かもしれないと思われていたらしい。ふむ。こいつは、俺が変態魔人ちゃんと後輩数名を連れて女子浴場潜入作戦をやった話を知らないな。あれは随分騒がれて相当の英雄伝になったから、周知の事実だと思っていた。甘かったようだ。次は何をしてやろうか。
 ともかく場所と日時を指定されて、その場は別れる。超かわいい子ばかりを呼ぶから、この事は誰にも言うなと口止めされた。何を着ていこう。





 ◆





 約束通りについ来てみたはいいものの、正直、喋るのは得意じゃない。

 大人しく先輩に従いながら愛想よく笑って端に静かに座っていたら、ふいに話を振られた。こいつは勉強が苦手だからって、眠ってばかりいる駄目なやつだという話。退屈なのが悪いんだ、とでも返してやりながら、ジュースを啜って食事を流し込む。アルコールが欲しい場ではあるものの、一応学生の身分だ。ノンアルコールで耐える。
 優等生、実技はいいもんな、そうそう、それは勇者のような飛び込みよう。と、自分の代わりによく喋ってくれる。

 先輩方にとって自分に求められている役割が置物であると察して、場を乱さない程度の返答をする。

 そうなの? と、栗毛の女が身を乗り出して、見つめてきた。
 そうです。そう言い切って見つめ返していると、先輩が話題を変えた。俺は話には割り込まず、割り込むだけの話術がないからなのだが、適当に相槌を打ちながら飯を食う。絶対聞いてないだろ、と茶化されたので、唐揚げがいかに美味しいかという力説をした。
 そうやって周りが騒いでいるうちに、隣に一人、女性が移動して座ってくる。
 さっきの栗毛の、やたら胸を強調した服の女だ。しかしいい匂い。唐揚げを咀嚼することに意識を集中させ、反対側の先輩らの話にああそうですねと相槌を打つ。内容など何も入ってきてはいない。
 身を乗り出して、ふうん、とこれまた嘘くさい相槌をする女の息遣いが、俺の耳を掠めて気が気じゃない。
 これでは先輩を立てるどころの騒ぎではない。席を立ってトイレに行くとかいって向かいに座り直そうか、酔っ払ったことにして襲おうか二つに一つだ。俺は酒を飲んでいない。
 ああ、僕、ちょっと、と立ち上がろうと思った矢先、先輩が笑って話のネタのついでに俺を小突いて突き飛ばした。女性が受け止める。胸が当たる。その笑い声。こっちを見て酔っ払った顔で笑う先輩達。
 ああ。俺は勘違いをしていた。謙虚が過ぎた。これは俺が貰っていいらしい。





 ◆





  随分酒を注いでやったら、酔っ払いの口実が立派についたらしい。
 解散の時間に間に合って、女の子が俺の体に擦り寄ってくる。
 送ろうか、と言うと、駅まで休むだけ、と寝言のように呟いて頷いている。俺は彼女の手を取り立ち上がって、先輩に挨拶をした後、そのまま近くのホテルに連れ込む。
 相手は一室に入ってベッドに座っても何も言わず、お風呂って入らないとかな、と言う。あとでいいよ、とだけ返して、シャツのボタンを外して女の肩を掴む。
 なにか、違和感がある。
 何だろう、と、不意に襲う頭痛に顔をしかめながら、目線を落としてそれを考えていると、その視線の先のボタンが外されていく。白い谷間が見える。顔を上げると、女がじっと、上目遣いで俺を見つめている。
 何はともあれ、思い出すのなんかは後でいい。片手で腰を抱えて、もう片手で胸元に手をかける。そうして肌の上に滑るようにして剥ぎながら、抱き寄せ、首筋に吸い付く。いや、そうしようとする。しようとするだけで、ぴたりと動きが止まってしまう。
 声を漏らしたのだ。女が。微かに。それだけだ。
 手が止まった。
 白い肌。
 熱を帯びた柔らかい胸。
 女の声。
 覗き込んで来るのは、昔の。
 お前は、誰だ。
 ここはどこで、今はいつで、お前は誰だ。
 手を離す。どうしたの、と煽り立ててくる。誰だ。
 昔、愛して添い遂げた、一晩だけ安らいだ、幾人もの女の思い出が、白い肌に何重にも重なる。
 吐き気がする。俺は何をしようとしているんだろう。これから、俺は、何を。
 “女”が嗤って、手を引いて胸に押し当てる。
 初めてなんだ、と、掠れ声で笑う。
 ああ。違う。違う。俺は。何度も。
 手を振り払う。何故こんなことをしてしまうのかがまるで分からない。
 とにかく、今すぐに、この場から、この状況から、離れたいと思った。
 欲望とはまるで裏腹。ああ。じゃあこれは良心か?
 手の震えと頭痛を抑えて、はだけた服を掴んで強引に包み直す。
 随分酔っ払ってるみたいですね。危ないですよ。今日この部屋は一日取ってあるので、朝まで大事にして、酔いが覚めてから帰ってくださいね。
 自分で自分じゃない誰かが、自分の口を勝手に使って喋るように、よくもまぁ。すらすらと気遣いの言葉が流れて出ていく。連れ込んだのは自分だろうに。
 それじゃあ、お元気で。
 呼び止める女の声も聞かず、逃げるように転がり出る。
 寮に向かって一直線に走る。わけもわからず走る。俺の中で、誰かが怒る。おい、あと少しだったのに。お前のせいでやりそこなったじゃないか!
 別の誰かが、そいつに言い返す。“妻”がいるのに、なにをしている! なにをしてきた! お前は何年生きてきた。数百数千も年下の何も知らない未来ある若い娘に、手を出すなんてばかなことがあるものか!
 妻って誰だ、俺の目の前にはそんなやつはいない、なにをしてきたってなんだ、俺はまだなにもしていない! 数百数千も生きてない、俺だって若い男だ!
 馬鹿言え、お前は分かってるだろう、全部覚えているだろう! 妻に申し訳ないと思わないのか!
 覚えてるさ、でも俺には関係ない! それらの女は全て連続した人生じゃないだろ! お前が言う妻だって、死んだんだ! きっとみんな、みんな、死んだんだ!
 死んだんだ。みんな。
 みんな死んだんだ。
 俺が好きだった子は、みんなもう死んだんだ。
 あの子も死ぬんだ。死ぬんだ。
 俺は?
 俺は死なないのか?
 まだ、また、生きているのか?
 俺は、なぜ生きている?
 みんなもう死んだんだ。
 みんなをおいて、俺だけ。
 なぜ生きているんだ?
 なぜ。
 たったひとりのうのうと、幸せに生きていられるなんて思っちゃあいけない。
 あれほどの。
 死ほどの虚無は、存在しないんだ。
 みんな、あの虚無の中で死んだんだ。

 そうだ。死んだんだ。
 俺は、死んだんだ。何度も何度も。
 死んだ間のことは、何も覚えていないんだ。なにひとつ。
 何より大切だった、あの国の滅びの瞬間さえ。
 何より大切だった、あのひとの本当の最期さえ。
 俺は、何も知らない。
 死んでいる間のことは、何も知らない。
 ただ、虚無の間に、全てが終わるだけだ。
 その間に、俺の大切な全てが、死の虚無に投げ出されていった。
 俺は結局、何もできていなかったんだ。
 幸せに生き延びられると思うな。
 みんな、死んだんだ。
 あの虚無の中で死んだんだ。
 俺は、本当に生きているのか?
 今走っている俺は、なんだ?

 なぜ、生きているんだ?





 ◆





  寮の同期に叩き起こされて、重い頭を持ち上げる。
 全身がだるい。
 昔に抱いた女達を思い出して、ボロボロ泣いて半狂乱になりながら汚した昨晩のティッシュを、人目に付かないようにそっとゴミ箱に捨てる。
 それっきりだ。
 それっきり、欲望が立ちきらなくなった。
 寮内の男が淫らなものを見つけてきてこそこそと広げているのを見ても、目を背けてしまう。
 次第に、軽い感想ぐらいは言えるようになってきたが、あまりにうわべだけだ。
 かわいい女の子を見ても、はじめのうちは目を引かれるし、やぶさかでない気持ちが起き上がってくるも、すぐに、あの恐怖が甦ってきて、逃げ出したくなる。
 俺には誰も、伴侶なんていないのに。いないのに。もう、いないのに。
 知らず知らずのうちに、目を奪われる女性がみんな誰かに似ている気がしてきて、重ねてしまうのが、どちらに対しても申し訳なくて、辛くなってきてしまう。
 あの女性からの連絡も、もう返していない。内容を見ることすらしなくなった。
 合コンの話が漏れて、なのに俺が突然その件を避け始めたものだから、色々な噂がたった。

 俺がいざ女を前にして、逃げ出した根性なしだったというのが、主力としてまとまった。

 それでいい。本当のことだ。

 何かを言いたくなってそいつらの前に立ち塞がってみても、それだけで気持ちが萎えて、何も言う気が起こらなくなるのだ。
 不能者。もうそれでいい。どの女も、結局、思い出には敵わない。
 もう今更、恋愛なんて。家族をつくる幸せなんて。誰かに、認められる幸せなんて。
 そんな願望など、持つものではない。
 何も出来なかった俺に、そんな資格はない。
 かの先輩方との付き合いをどう断り続けるか、考える手間が省けて助かった。
 俺は、晴れて最終入隊試験を迎える資格を得た。
 実技が実戦級と評価され、ほぼ最短コースだった。





 ◆






  最終試験は、惑星ナベリウスで行われる。簡単な討伐、調査コースだという。
 惑星ナベリウス。緑豊かな土地。遥か遠い故郷のように、草木が生い茂り、水がせせらぐ、あたたかな惑星。
 数ヵ月前までは、ダーカーもいない、訓練生にうってつけの惑星だったのだが、状況が随分変わった。充分に警戒し、危機を感じたら、試験など忘れて逃げるように、忠告を受けた。
 惑星の大地に降り立ち、俺は、ここで死ぬならそれもいいかな、と、思った。
 大気を通過して降り注ぐ、恒星の柔らかな光。鳥の鳴く声。全て、身も心も洗われるようだった。
 一つ、それも、大きく残念なのが、フォトンコートという機能によって、その空気、温度そのものを直に肌身に感じることができないことだ。船とは異なる大気、環境である以上、これは安全のために仕方がない。ここはあの国とは、全く別の惑星なのだ。窒息したり、気圧病を起こしたり、致命的な病原菌にやられては大変だ。
 それに、それを差し引いても。
 やはり、アークスになって良かった。
 これから先、このような、多様な地をいくらでも歩き回れる。
 あの船に居続けてじっとしていたら、今頃どうなっていたやら。
 一定の給料のために、延々と同じところの同じ時間に通いつめて、同じようなことを、家族の機嫌を取りながら、一生やるんだろう。俺には向くまい。事実、俺は宮仕えだって続かなかったのだ。
 その点、この仕事はいい。できたらできただけ金が貰えて、仕事を選べて、気が向かない日は一日中寝込んでいたっていいんだ。おまけに、高給取りときた。命を危険に晒すのが代償とはいえ、そんなことは俺にとってはデメリットでも何でもない。一定額を稼いで、今までお世話になった分を親族に返してやることができれば、後はいつ死んだって構いやしない。
 それに、万が一、調査先で、誰よりも早く、あの国の、あのひとの手がかりを、見つけることができたなら。
 その為にも。
 まだ、俺はアークスになったわけじゃない。
 全ては、アークスになった時の話。
 俺は、この試験は必ず成功させなければならない。

 意気込んで、指定の行動を起こし、原生種を打ち倒し、不意にダーカーの群れに襲われるというハプニングに襲われても構わず、冷静に殺し、処理をする。
 最終エリアに到達。指定された物品を回収した。帰還命令が出される。
 ……え。これだけ?





 ◆





  拍子抜けするほどに、あっさりと終わったので、これは本当はもっと別の行動をするべきだったのではないかとか、実はクリアまでの時間を見ていたのではないか、とか、色々な可能性を思い付いては後悔して唸っていたのだが、結果は合格で、全て杞憂だった。

 同じ日に試験を受けた者の内には、原生種によって重傷を負ったものも少なくなかったという。ダーカーに遭遇して、かつ試験を中断しなかったものともなると、随分少なく、ここの寮生では年齢問わず今回は俺ぐらいのものだったらしい。
 すぐに、アークスとして名乗り、ここで働いていいのだと通知が来た。寮生はみな、喜んでくれた。
 その日のうちに、部屋の荷物を片付けて、配属の部屋に運べるよう、身支度を始めた。
 同期の奴らが、思い思いに祝福と嫉妬の言葉を投げながら手伝ってくれる。別れを惜しんで泣いてくれる後輩もいた。そいつの頭を撫でていると、心から名残惜しい気持ちが湧いてきた。本当に間抜けで、気のいい連中だった。皆の囃し声が、懐かしくて、心地良い。
 もうあと何日も食べられない、食堂の飯を食っていると、同期が思い出したように聞いてきた。アークスとしての登録名を何にするのかと。一応戸籍とは違うものを、好きに登録することができて、アークスの中では、随分きてれつな名前を登録している者も多いのだとか。それを文化と知った訓練生の中には、予めウケを狙いにいった名前を登録するものも結構な割合でいるらしい。
 皆、あほだな。俺は普通に、自分の名前で登録する気でいた。
 先輩が、よう、優等生の勇者くん、勇者。勇者リンクでどうだと茶化してくる。馬鹿だ。周りの皆が、そりゃあいい、ピッタリだ。なんせあの時の事なんて、などと囃し始める。皆、馬鹿だ。よしきた。それなら、乗ってやろう。ただし、そうなるならば、俺はこうと付け加えなければ気が済まない。
 ハイラルの勇者、リンク。
 なんだあそりゃあ、ああ、お前がたまに言うお伽噺ネタかあ、と、周りが喚く。
 そうとも。俺はそのネタを抱き締めて、生きていくんだぞ。もしかしたら、俺の名前が轟いた頃、同郷の者が俺をしるべに寄ってきて、声を掛けてくれることがあるかもしれない。
 そいつぁいいや、そんなことがあったらいいな、と、魔神ちゃんが仮入力のそれの送信ボタンを押す。
 おいおい。そいつぁ軽い冗談で、ちゃんと名前だけで送っておくつもりだったのに!
 俺が大袈裟に嘆いて見せると、周りがどっと沸く。勇者くん、頑張れよ! ハイラル見つけたら土産をくれよ! と、肩や背中を叩いてくる。勿論だとも、とやぶさかでない返しをして、心から笑う。
 俺の存在を示す名に、これ以上のものがあるものか。
 俺は、あの国の思い出と、この気のいい奴らとの思い出を、一生、いや、何度生まれ変わっても、ずっと、忘れずに生きていく。





 ◆





  卒業式典を終えて、正式な入隊手続きの場へと案内される。
 と言っても、校内の体育館から、シップ内で運営される武道館に移動しただけだ。
 あんなに広いところで集まると言われても、同期寮生の中でこのタイミングでの試験に合格したのは俺だけなのに、全訓練校の合格者を集めたって、とてもガラガラで足りないのではないかと思ったが、そんなことはなかった。それなりに人混みと形容できるだけの人数が集まってきている。
 何せ、手続きをせず、誰かを待つようにうろうろする者たちや、他の校生と話し込んでいる者が多い。正規のアークスと思われる人間と共に、手続きに向かう者もいる。
 聞けば、あれはスカウトらしい。優秀、あるいは好みの人材を捕まえて、師弟関係になることで、未来の強力な味方を増やしたい。そういう者がここに来て、共通のIDで活動するよう手続きを促すという。最早恒例の光景であるらしい。訓練生のうちに、あるいはその前から、アークスの誰かしらと関係性を築いている者も多いそうだ。
 なるほど。俺はそういう関係は作っては来なかった。みな、それぞれに努力を重ねていたんだと眺めて思う。
 それはさておき、俺は別に師匠は欲しくない。今更師などとったって、習うことが一体どれだけあるのやら。それに、俺みたいな訳の分からないのを弟子にしてしまったら、相手だって困惑するはずだ。
 元々、一人で立派にやっていくつもりだったのだ。周囲の人間を掻き分け、受付に向かう。
 どん、と、何かがぶつかる。子供だ。
 うわぁっ。ごめんなさい、ごめんなさい。なんて、周囲に詫びながら、ずれた帽子を直す。かわいー、はぐれたのかな、なんて女の声も聞こえる。
 こちらにも謝罪してきたので、いや、大丈夫か、と逆に声を掛ける。
 見上げてくる目は不安の様子で、俺は、何か困っているのか聞いてみた。
 顔を真っ赤にして俯いてしまったので、俺はしゃがんで話を聞こうとする。
 迷子だろうか。アークスになろうという兄弟でも探して、親とはぐれたのだろうか。
 子供は、ひどくどもりながら、実は、と、少しずつ言葉を紡ぎ始めた。
 よく見たら、アークスの制服の一種を着ている。まさか。
 その子供は、ついに言った。
 僕と、一緒に戦ってくれる人を探しているんです。
 正規のアークスだった。
 名前は、ユヅキというそうだ。

 

bottom of page