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―HISTORY

Episode0
​ユヅキという少年 

 

 

 

 

 

「フォトンとはなにか」

 教官が一人の士官候補生をあて、その候補生が答える。

「粒子の最小単位」

 教官は教壇に両手をつく項垂れる様な姿勢で教科書を覗き込みながら、その答えに頷く。

「そうですね、ただ、"現時点で"が抜けています、"現時点で発見されている"粒子の最小単位ですね、もしかしたらまだ観測できるかもしれないので」

 補足を入れるこの教官は、だるだるとした顔つき、喋り方をすることでここの候補生の間では有名だった。

 そこから密かにあだ名のついている"ダル教官"は、ゆったりとした口調でさらに別の候補生をあてる。

「そのフォトンの性質は? なんですか、粒子ですか、波ですか」

「粒子であり波?」

「その通りなんですね」

 教官が向き直り、"ボード"にデータファイルを投映する。

「フォトンは粒子であり、波である。そしてそれが集まって物体になって、君たち人間にもなる。なので君たちは当然体の中にフォトンを持っているんです。じゃあそれを君たちが実技試験でやるように"使ったらなくなってしまうのか"というとそうではなくて、常に熱のようにエネルギーを発しているんですね、しかし使いすぎると人体に危険が及ぶのも説明しましたね。でも、我々の身の回りにもフォトンはあるので、それを使っていけばそれも問題ありませんね。で、そもそも何故専門的な道具がなくてもフォトンなんていう原子より小さいものを扱えるかといえば、これが"人間の意志の影響を受けやすい"ものだからだとも説明しましたね」

「なんで人間の意志の影響を受けるんですか?」

「そんなこと知りません。とにかく影響を受けるんだよ。とにかく受けるらしい、そういう実験結果が出ました。で、研究者は当時大騒ぎしたんじゃないかって思うんですが、データが見つかってないので詳細は不明です。ダーカーの大規模強襲の時に消えたんじゃないかと、まぁそこは歴史の授業でやったんじゃあないか。で。えー、それで、人間の意志によって操作することもできるフォトンですが、そのフォトンになーんの過度な期待も失望も寄せず、気まぐれにチラッチラッと観測する場合、えー前回教えた、電子を使った二重スリット実験と同じ結果になりました。ということは、えーこの式で、一応求めることができますね」

 ボードに映された数式、波動方程式。

「えーこれを解くこと自体は、数学です。試験に出ますのでしっかり聞いといてください。で、これによって、フォトンの存在確率を出せます。『大体こんな感じで出現するんじゃないかな~』ってやつですね。D因子を持ったフォトンについても同様で、ダーカーは意志を持っているわけではないのでダーカーの出現予測ももう少し手心を加えておよそこれで出せます」

 静かに教室の空気が変わる。

 この学校は選り抜きのエリートが入学する、士官学校だ。

 アークスの士官にとって、これほど現実に必要な式はないだろう。

 ボードに問いが追加表示される。

「さて、ではこの式を使って、これを実際に解いてもらいましょう。ユヅキさん」

「……っ、はい!」

 ガタッ、と立ち上がった生徒に、教室中の視線が集中する。

 この問い自体が、市街で高校生に当たる年齢のこの学年の者には難しいものであるというだけのせいではない。

 その指名された候補生が、飛び級でこの士官学校に編入してきた幼い少年だったからだ。

 弱冠十二歳。注目を浴びるのは仕方のないことだった。

 しかし、少年はそんな奇異の眼差しにとても慣れてはいないようで、震える拳を握りしめて早歩きでボードに向かう。

 指先でホログラム上のボードをなぞり、記入をしていく。

 その様を教官は腕を組んで一歩引いてじっと見つめていたし、候補生はその教師の長身を避けるようにしてかの少年の様子を見守っていた。

 少年が手を引き解き終わりを示すと、クラスのお調子者グループが唸った。

「はい。良いですね、席に戻ってください」

 教官の指示でそっと自席へ向き直ったユヅキは、その景色に驚いて下手な行進のような妙な足取りでさっさと帰った。目は完全に床に逃げていた。

 教室のどこからか品の無い口笛が鳴ったが、ユヅキは椅子に座って縮こまって机の真ん中を見つめていたし、教官も無視した。

 ユヅキ少年は非常に臆病で恥ずかしがり屋の少年であった。

 そういう少年にとって、飛び級してしまうほどの優秀さはかえって目立ってしまうことになって、大変居心地が悪い。

 同年代に対しても非常に謙虚であったから、なおさら年上相手に優秀さをひけらかすことは良しとできなかった。

 教官もこの優秀な候補生にはほどほどに気を遣ったが、かといって特別扱いもしない。

 むしろ、アークスは実力を重視するから、このような幼い候補生は教官にとってそれほど珍しいものではなかった。

 しかし候補生たち、それも張本人にとっては違っている。

 なにしろこの授業が終わった後、先程の鮮やかな解答について一部の候補生にひとしきり突かれていた。 

 ユヅキは無難に応えながら、冷や汗をかいてへらへらと笑い、縮こまっていることしかできない。

 この少年は、自分の秀才は自分の実力によるものではなく、家の教育方針によるものだと、一切奢ることなく大真面目にそう考えている。

 ユヅキの父親は優秀なアークスの士官で、そのまた父親と母親も三英雄と戦線を共にしたこともある優秀なアークスだった。

 ユヅキの従兄弟にあたる女性もアークス管理官という職に就いている。

 母親は、優秀なアークスである夫のその緊急出動の多さに時折ぶちぶちと文句を垂れていたが、それでもそういう家柄と知っていながら父親の武勇伝に惚れて嫁いできているのだから仕方がない。

 ユヅキに英才教育を施すよう促したのはユヅキの父方の祖母であったが、母親も子供の前で文句はあまり言わなかった。

(祖母は少々気性の荒い古風な女性で、この家系を継ぐ子ならば当然民を守る仕事に、などという人だった。祖母一人の反対をおして、悠月、という中性的で穏やかな名付けをしたのは母親のちょっとした反抗心だったかもしれないが……。問題なく名付け通りの、かつ聞き分けの良い男の子に育っていて、祖母にも母親にも溺愛されている)

 この小さなクラスメイトをみんな可愛がっていたが、一割程度はやはり生意気だと評する者もいた。

 そういう同期に向かって、いつもユヅキは俯くのだ。「ごめんなさい」と。遥か年下の小さな少年にこうされてしまうと、流石に妬んでいた勢力もばつが悪くなってさっさとどこかへ行ってしまう。結果的にユヅキの周りは随分平和だった。

  実技訓練が行われる。

 ユヅキは運動面に関して勉学程の才覚を持ち合わせていなかったが、ひとたびフォトンの行使による補助を認められると抜群であった。

 しかしこれも当人曰くなによりも"訓練"で、ただ単純に家でもメニューを組まれているから、単なる試行回数の問題ということをへにゃりと笑って解説する。

 クラスメイトはそういう様子も含め「ただの天才だなあ」と片付けてしまうのだが、ユヅキからすればたまったものではない。あくまで苦労してできるようになってきたことを、当人にとっては簡単なのだろうという話にされてしまうと、後に仕事の面で無理が出ると、十二歳児に向かって老婆がよく語って聞かせていたのだ。つくづくとんでもない家柄である。

 それに先の通り、ユヅキのような幼い実力者は他にもいる。それどころか、ユヅキは自分以上の才人をうんと知っている。それに比べたら、毎日毎日目に涙を浮かべながら必死に上位にしがみついているだけの自分が天才などと言われても、ユヅキは愛想笑いを浮かべる他ない。

 そんなわけで、優秀だと言われれば顔を真っ青にして首を横にぶんぶんと三往復するし、実技の手本として教官に前に出るよう言われる時は

(ドジをしたらどうしよう)

 と左手で裾を握りしめて右手で礼をするのであった。

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