
―Extra
Episode???
Mission1
――そろそろいいだろう。目を覚ませ、『 』――
脳裏に響く声を意識が認識し、静かに瞼を開ける。
静寂の中、自らの体勢を把握し始める。天井にはブロードクロス。薄暗く淡い間接照明の中淫靡に空間を飾っている。ベッドの上。深く眠っていたらしい。そっと組んでいた手を解いてシーツに触れる。シルクの手触り。どうやら丁重に扱われていたらしい。監禁ではないだろう。悪くはない。
空から落ちてくるように使命を与える声。あれはなんだっただろう。
思えば、自分は自分のことを何一つ覚えていない。自らの名、所属、土地、交友関係……しかし、特に熱心に思い出そうという気にはならない。恐らく記憶を失う以前の自分も、きっと自らの立場を重んじない性質だっただろう。そういう気がした。
しかし、名……ぐらいは思い出せなければこの先きっと不便だ。はて、そう思ったのはどういう理屈だったからか……何か、人間にとっては重要だったはずだ。……人間にとって、と思考したが自分がそれ以外の何かでもあったのかは思い出せない。確か、先ほど名を呼ばれたはずだ……
――ようやく目を覚ましたらしいな。おはよう、krc':ler……気分はどうだ?――
再び、声が響く。どうやら発信者はこの部屋には居ないらしい。
そして、今度こそ、一度で確実に聞き取った。この声の主曰く、自分の名は"クロラ"と言う――
「――悪くないね」
『そうか。それは良いことだ。で、まずはその部屋を出てみろ。お前にはやってもらいたいことが沢山あるからな……』
ここでふと、この声の発信元は自分の脳内に拡張された電子機器であり、これはその通信回路だと気付く。
確か映像も同時に発信できたはずだが、今は音声しか流れない。何らかの都合か、不具合か……
中々魅力的な寝室のシーツを撫で、鉄の床に両脚を降ろした。シーツと同じ色の紫のロングヘアがするすると腰まで落ちる。
どうやらここは安全圏で、その外は何らかの使命によって追い立てられる激流らしい予感を得る。
寝惚けた眼差しを一気に釣り上げる。それに呼応して、背面で"ナニカ"が力強く広がる感覚。確認するまでもない、自分はやはり人間ではないのだ。腰元からしかと張った赤黒い翼に一瞥たりともやることもなく、静かに立ち上がって一歩一歩靴音を響かせながら扉を開いた――
その先にあるのは無機質な通路。
『部屋を出たか? 右に行け――お前の所持品がある』
鋼鉄の通路の至る所が錆び、一度水で長らく満たされでもしていたのか端々が苔によって深緑に色付けされている。
もう随分と人の手が入っていないと見える。空気がやや冷えている。
声の主の指示に従い、通路を進む。足音が空しい音色で反響する。カサカサと這う音が遠い背後に混じっている。
行き止まりにて一つの扉のロックが外される電子音を耳にし、その扉に手を掛ける。部屋の中には、色気のない台とその上に無造作に並べられた得物。
『これから先何よりも必要なものは武器だ。どれでも好きな物を使え……手に馴染む物を選べよ』
静けさと冷たさだけが反響するようなこの部屋で、最初に手を触れたのは黒い双機銃だった。手に取って持ち上げてみると、フォトンに呼応して紫の陣が静かに浮かぶ。……なるほど、記憶は消えてもこの世界の基礎知識は抜け落ちてはいないらしい。試してみたくなり、何となしに入ってきた扉に銃口を向ける。
『とはいっても、使ってみないことには感覚も戻ってこないかもしれないが……』
奇声と共に、紅い眼をぎらりと光らせた黒い蟲が部屋に飛び込んでくる。撃った弾がそいつに命中する。派手な音が反響して蟲は灰になる。
それを皮切りに、紅い輪を鈍く輝かせた有翼種と蟲の同種が部屋へとなだれ込む。
『……おあつらえ、だな。何でもいい、処理してみろ。肩慣らし程度にはなるだろうよ』
接近してくる体長1mほどの小蟲をそのまま銃弾で潰し、有翼種の振り翳した大鎌から打ち出される斬撃を体幹を落として回避、コアに向けて二発撃ち鳴らした後、ガシャリと銃を放り投げてテーブルから刀を手に取った。そのまま鞘から抜き取り特攻を仕掛ける。翼を素早く斬り上げ、地に叩き落とす。醜く這いつくばった絢爛豪華な鳥頭の首元に刃を突きつけ、スパリと引く。彼奴のフォトンが死んだことを感じ、もう一頭の翼に刀をそのまま投擲する。壁に縫い付けられて暴れる様を横目に見ながら、飛び掛かってくる棍棒持ちの襲撃をかわし大剣を手に取る。そいつの目玉に向けてずぶりと手応えを得ながら突き刺し、全ての生気を吸い尽す程にフォトンを吸引する。力尽きた棍棒持ちの胴を長い脚で蹴り飛ばしながら大剣を引き抜き、すっと縫い付けた"ソーサラー"を眼前に据える。鉄の床を蹴って駆け体重を前に乗せ、踏み込んだ左足に全てを乗せて大剣で弧を描き遠心力も相乗させ派手に叩き落とす。
もはや撲殺と言った威力を浴びて尚虫程の息があるしぶとい鳥の心臓部に、ぐっと静かに深く、生物らしい水音を立たせながら突き進めて確実に殺していく。
……抵抗が失せ、いびつなほど小さく醜く生えた手が床に伏せた時、暗い眼差しで頭を踏み付けゆっくりと剣を引き抜く。足場にしていたものが灰となって散り、そっと足を引く。
静寂が戻ったのを肌身に感じ、大剣を片手に持ったまま壁に突き刺していた刀を引き抜く。跡形もなくなった床から静かに身をかがめて鞘を拾い上げ、金属の擦り合う音を微かに響かせながら元鞘に収める。鞘と鍔がぶつかってパチン、という音がする。
鞘を持った手を腰元に落とした後、大剣の刀身を見やる。……"大剣アポトーシス"。そう廃れた拡張現実が名を告げた。何か、納得したような声色を漏らしてこう答える。
「――これで、いいんじゃないかな?」
大回りに振り回し背中のホールドに引っ掛け、刀も腰元に提げておくことにする。通信が入る。
『……どうやら処理できたようだな。一応役に立つ時があるだろうから、選ばなかった物も"ナノトランサー"に格納して所持しておけよ。――お前にやって欲しい事はこんな雑用程度のものじゃないんだ。覚悟が決まったら、向かいの部屋のテレポーターから移動して欲しい』
ふむ。決まらない、とここでのたまったところで何かあるのだろうか? どの道他にないだろう。足を進め、部屋を後にする。
……案外ご機嫌は悪くなかった。